溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170928

寝るために食べる

 食べて寝てを1日繰り返す。寝るために食べる。1日かけて体力を戻すためだけに過ごしてみたら今は元気になってきた。昨日は頭痛と吐き気があり、身体中がだるかった。かといって熱があるわけでもなくいっそ熱が出てくれる方が楽なのではいかと考える。とはいえ精神的に現れる部分が体調に現れるのはあまりないことで、もしかしたら良い変化なのではないかと捉えていたりもする。体調的に落ち込んではいたが精神的に落ち込んでいる感覚はなく、単なる体調不良と精神的な浮き沈みはまた別物として捉えられるのかもしれない。展示の準備での買い出しや電車での移動が多く、これまで以上に人と関わる機会も増えていたのでそういう疲労が蓄積していたようだ。時には外に出て人と関わったりすることも必要であるのだが、出来るだけ自分の体調を優先して関わるようにすることはそんなに難しいものでもない。むしろ話せる人には自分の状態を話した方が優しく接してくれたりもする。結局、自分自身の展示をしていようがしていまいが毎日やることは変わらず、展示に向けての準備期間が終わったら、会期中であるにせよ創作の状態に戻ることが大切だと思えた。そういうリズムみたいなものが掴めてくるとまた良いのだなと思えた。とはいえ、直接作品を見てもらい感想を聞いたり、お花をい頂いたりするのは嬉しいことだと思った。なによりも嬉しいことかもしれない。それはお金でもなく、物でもなく、その気持ちの交流こそが活力になる。しかし体調が悪いとそれは受け取ることが出来ないのだとも思った。だからまずは自分の体調を整えることが最優先である。そうやって体調が戻ってきた時にそのやりとりに多幸感を覚える。それだけで生きていけるのだ。

 

幸不幸

 少し人に優しくさせると世の中の人間はみんな優しいもんだと思うし、少し嫌なことをされると世の中の人間はみんな腐っているとどちらにも振り切れるものだから幸福でもあり不幸でもある。どこまでいっても左右される。人との関わりの中で幸福と絶望を決めつける。私はその揺れの中で生きているのかもしれない。人間を捨て去ろうとも思わない。人間であるからなのか、人間であることを是亭しようとする。私は人間に左右されている。そういう思考回路の中で生きている。思考ですらないのだと思った。思ったということは思考であるのかもしれないのだが、そこを触れる必要はあるか。自問自答しているようで、なにもしていない。ただ流れ出る時間を観察しているだけであった。音楽は静かに流れていた。ただゆっくりと雨が落ちてくるよりも遅く、雲の動きよりも早く体に出入りする。それは逆にすることもできる。どちらでも活用できる。それが音楽なのかもしれない。私はその音楽に体を寄せている。興奮しているわけではなかった。多幸感が体を覆っていた。私は歌っていた。気づいたら喉を震わせていた。言葉はわからなかった。英語として捉えていたが、これは彼の言葉だった。英語とも言い難かった。これこそが彼の産み出したものだった。体が揺れていた。振動だった。男はいつまでも歌っていた。踊っていた。ただ単にもう雨だった。男は雨になっていた。雨と横並びだった。優劣もなかった。差もない。何もなかった。男は多幸感に溺れた。雨の中で溺れた。雨に溺れている男は雨音だった。耳元で囁いていた。男はそっと静かに、それでいて大声だった。音量の話ではなく質量。そこには幾分か男の魂がこもっているようだった。それは聞こうとするものへの重みへ変わった。荷物ではなかった。そこには幾分かの心地よさが隠されていた。ただ頭上を行き交う浮ついたそれとは違った。それは声だったのかもしれないし、声量だったのかもしれない。大きければいいというものではないことをとうの昔に知っていたのは彼自身だったのだ。私は彼に近づいていった。彼は上半身には何も衣類をまとっていなかった。何か手形のような跡があった。麦わら帽子を被っていた。季節は秋だった。

 

煙草

 男は口に何か咥えているように見えた。それは煙草にしては少し太いように見えた。葉巻だったのかもしれない。煙草を吸わない私には判別のつかないことだった。男は笑っていた。「クックック」笑い声は女の声だった。動物のようにも聞こえていた。栗鼠の鳴き声かもしれなかった。「これは交信するために吸っている」男はそういうと、私に咥えているものを差し出した。私は大きく呼吸をし、思いっきり吸い込んだ。むせることはなかった。煙は出ていなかったからだ。煙草に火はついていなかったし、これは葉巻だったのかもしれなかった。私の気分は爽快だった。肺がスースーした。ミントかだったのか薄荷だったのか、吸い込んだのかもしれない。私は多幸感を覚えていた。これは私が作り出した多幸感であった。一瞬だった。これは一瞬の出来事であり、その後絶望することもなかった。ただ観察することにしたのだ。私は、隙間に入り込んだ。渋谷の路地裏にある細いの道に入り込んでいた。それは横浜かもしれなかった。私にとって大きな違いはなかった。どこにいるかは関係のないことだった。とにかく隙間に入るこむことが重要だったのだ。それ以外に注意するべきは声だった。人間の声ではなかった。鼠だったのだろうか。猫にしては小さすぎた。やはり栗鼠だったのかもしれない。栗鼠は電線を自由に駆け回っていた。栗鼠が電気だったことを知ったのはこの時だった。栗鼠は発電をしていた。電線を走り回り電線の行先を促していた。東電から依頼されたわけではなかった。あくまでも自主的に発電を繰り返していた。栗鼠はこの地では煙たがれている存在だった。どうやら台湾か何かからきた栗鼠で繁殖を繰り返し、自然の生態を崩すと言われていた。それでも栗鼠は発電を続けた。止めることもなかったし、止めようとも思わなかった。栗鼠にとって電線を走ることは男が煙草を加えている日常となんら変わりなかったのだ。私はその光景を目の当たりにした時、男を再び目撃した。男はスーツ姿だった。サングラスもかけていた。ハットを被り、全身が黒ずくめになっていた。カラスだった。今日もゴミ捨て場を観察していた。カラスはスズメ目だった。カラスにとってはスズメのつもりは到底なかった。カラスにとってはカラスだった。自分のことをカラスだとも思っていなかった。カラスはゴミ捨て場からゴミ袋を漁り、一本の煙草を咥えて羽ばたいていった。

 

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雨が降ったり止んだりする、薬局に行ったり買い出ししたりする予定。