溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170929

マスク

 私は呼吸を乱していた。マスクをした。マスクに呼吸を整える効果はあったのだろうか。晴れていたのは偶然だったのかもしれない。踊っていたのは掃除夫の男だった。道路掃除夫の男は一歩一歩を掃きながら任務を遂行した。決して先を急ぐことはなかった。先に進むことよりも踊ることの方が男にっては大事だった。「ただそれだけのことで人は悩み、苦しむのだから笑ってしまう」と男は言う。男は落ち葉を集めていた。それは収集癖のようなものだった。そして捨てていた。集めては捨てを繰り返した。貯めておくことはしない。散財でもない。「これが俺にとっての銀行」とだけ言っていた。まるでサーカスのようにも見えた。踊っていたのは男だけではなかった。鎖を繋がれた犬もそうだった。彼らは一心同体だった。そしてどちらも分裂していた。どちらも一人でないし、一匹でもなかった。「単位はない。俺たちは単位じゃないんだ。」私はすっかり目を瞑って呼吸をしていた。少し眠たくなっていたのだ。疲れていたわけでもないし、眠れなかったわけでもない。ただ単純に眠たかったのかもしれない。その状態のことを冷静に観察することができなくなっていた。これは眠気なのだろうか。それとも風か。確かにトンビは風に舞っていた。空で踊っていたしクレープを狙っていた。食べ歩き注意。人間から言わせればそうなるのかもしれない。掃除夫はまだ踊っていた。箒を天にかざしていた。もう朝が来ていた。

 

弦交換

 ギターの弦を張り替えると心地よい音がした。響くような弦の音。俺は確かに響いた。街の中心にある大通り沿いで俺はいつもどおり馬に乗った。馬はひづめの音を響かせた。その音に通りゆく人は感慨し、大声で騒いだ。これは祭りだったのかもしれない。馬は次第に冷静さを失った。騒がれたのがどうしても気に食わなかったようだ。静かにしろ。静寂を保て。騒げばいいってもんじゃない。踊れ。足音立てず、俺の足音を頼りに、歩け、山の中、山脈超えて、どこまでも。

 

漢方

 薬局へ行き漢方をもらう。半夏厚朴湯を飲み続けているのだが当初よりも胸が支る感覚が和らいで来ているのでだいぶ効いているのだと思っている。それでも突然大きく落ち込んでしまったりするので、そこは漢方というよりは自分でリズムを掴むことが大切なのだろうか。スーパーでご飯の買い物をする。昨日のカレーのあまりでカレーラーメン。最近カレーの翌日はラーメンで食べるのが好きなのである。晩御飯はご飯のあまりがあったので、玉ねぎ、しめじ、鶏のひき肉を炒めてチャーハンと、中華風スープ。もやし、しめじ、わかめ、春雨などを入れる。どちらも薄味で良かったように思う。つい濃くしすぎてしまう傾向があるので、あまり入れすぎないようにするのも大切。夜になるとだいぶ部屋の中も涼しいと感じる。そういう変化にあまり気づかずに過ごしてしまうことがある。気がついたら足先が冷えきってしまっていたり、少し気分が悪くなって来たりする。自分の状態に気づかずにどこかへ行ってしまっている。カーディガンを着たり、靴下を履くようにした。暑い季節が過ぎて次は冬に向けての準備が始まる。鎌倉に引っ越して着たのは年末でやはり寒い日が続いていた。暖房器具はこたつしかなかったので湯たんぽなどでしのいではいたがやはり寒かった。乗り越えることはできたが、少し不安にもなる。季節に左右されている。それでも良いのだと思える。季節に合わせて生きればいい。秋や冬は好きだ。暖かい洋服とか温もりのある着心地のものとかそういう生地が好きなのかもしれない。それは自分の服装というよりは他人の洋服を見て言っている。僕は割と薄着だ。今年はもう少し暖かい格好をしたいとふと思った。

 

予定

 落ち着かないのは何か待っているからだろうか。予定を生きることが出来ないのだ。スケジュールよりもなにか今の衝動に集中している。歩いているのかもしれない。これは散歩だった。気の向くままに、目的地もなく、ただ歩いていた。これが私の仕事だった。やるべきことというよりは単にやってしまうことなのかもしれない。何かに束縛されることはなかった。束縛を促したのは私自身であったし何も抵抗はしなかった。真夜中に出発したはずが、もうすっかり夜が明けていた。家を出たのは1時間ほど前のことだったと思う。それも今となっては定かではなかった。私は何を頼りにしているのだろうか。星の位置か、太陽か、風か。私は何にも頼るすべを持っていなかったのかもしれない。世間話もしなかった。それは孤独ということではなかった。出来ないだけだった。言葉がただ出てこないだけなのだ。そういうことを語る知識がないのだろうか。能力として備わっていないのかもしれない。天気がいいねとか、調子はどうとかそういう話は出来ませんでした。仕事はうまくいってるとか、このご飯おいしいねとかそういう世間話のような雑談は私は出来ませんでした。ですから目の前のことに夢中になっていました。それはなんでも構いませんでした。路地裏みたいなものでした。人目にはつかない、通り道のようなもので私はいつもそこを通って家路に着いた。旅は終わっていなかった。物心ついた時から旅に出ていた。そう教えられたわけでもないし、教育を受けていたわけでもなかった。学校へは行っていたがそれは体の話で、私の抜け殻は外をただフラフラと歩いていた。教室に肉体を置いてきた。それからは自由だった。私はただ歩くことに専念できたし、自転車にも自動車にも乗りたいと思うことはなかった。ただ歩くことに意味があったからだ。意味とは何か。歩くだけのことだった。意味とはそのことだった。あなたはすぐに意味意味と何かしらの理由を求めたがる。それは陸地で生活しているから?あなたは陸続きの人間だから?どこまでも歩いていけると思っているの?私は海で生活することもあれば、空で生活することもあるわ。それが私のスペースでもあったの。街では市長選挙が始まっていた。始まっていたのかはわからなかった。ただ投票権を持っていただけの話だった。私は投票権を私に使うことにした。私と行っても名前もない鼠に過ぎませんでした。しかし、私にはそういう基本的な保障のようなものがあるようでそれは存分に活かしているといっただけのはなしかもしれません。ありがとうございました。私たちは感謝する。誰に。山に。川の流れを激しくした雨に。海に。静寂に。湖に。雲に。風を追いかけた。どこまでもどこまでも。

 

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少し眠気が強い。

風は涼しい。