創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20170930

ザクザク

 ザクザクザクと音がする。これは噛み砕いている音には違いなかった。それは食べ物か。それとも骨か。ザクザクザク。噛み砕かれたのはくるみだったのか。ザクザクザク。栗鼠はすっかり電線を走っていない。蝉は。まだ蝉のことを考えていた。泣いていた。悔しかったのかもしれません。この涙はどこからきたの。呼吸をした。肺が重たかった。肺は重たいのだろうか。膨らませている。そして縮んだ。横隔膜。広げる。体を広げる。名称を広げるのではなく、体全体を広げた。大きくなった。広がった。ザクザクザク。広がった。広大な山道。それは広大か。過大広告。どちらの情報にも流れ流され。攻めるも守るも流され流れ。そこまで来たらやめられない。最後までやり通すのが男ってもんだ。殴り殴れられ、銃撃戦。怒って震災よよいのよい。木兎の声は終戦の合図。御構い無しにまた銃撃戦。爆弾投下、一丁あがり。豆腐も一丁、爆弾一丁。打たれて舞って崩れ落ち。秋の夜長に撃ち合い勃発。意志はなし。意志はなし。感情なし。感情なし。思考なし。思考なし。お偉いさんの考えが、我らの考え、絶対じゃ。否定はしません、考えません。言うだけ言っても何もしません。批評ばかりでお疲れさん。いつまでたってもたどり着かない。外に外に、批判の声を漏らし漏らされお疲れさん。批評するのは自分じゃよ。批評しているの自分なの。やりたきゃやりんしゃい。やらないならばやりんしゃい。口は後で動かしんしゃい。まずは手から動かせば、骨は広がり、肉避ける。ザクザクザクザク。骨の音。骨に伝う電動。時間を使うのやめちゃうよ。時間を使うのやめちゃうよ。帰り際に振り向くと、君の姿はもうなかった。もともとなかった。さっきまでいたのは誰?幻想?妄想?感想?瞑想。向いて来た来た矢印が。技術のことを聞いてない。気持ちのことか。そうだそうだ。知識のことは聞いてない。思いのことか。そうだそうだ。

 

神殿

 神殿はまだ建てられていた。300年が続いていた。労働を辞めなかった。神殿が完成することはなかった。それは未だに続いていた。建築は続いていた。労働も続いた。それは奴隷とは少しちがう扱いだった。志願制だった。志願兵になった。特攻隊長。特攻、出動、よよいのよい。朝の空気は澄んでいた。まだ人は寝ていた。太陽は徐々に昇り、窓から眩しすぎる光量を注ぎ続ける。それは香りだった。太陽の香りは焼きたてのパンの香りがした。焼きたてでなくてもトースターに入れた時にしてくる香りとも近いかもしれない。芳醇な香りなのかもしれない。私はそこにバターを塗りつけ、バターの姿がなくなるまでじっと待つことにしている。固形ではなく液状。バターの姿がなくなった時パンの上のバターはもういないのだろうか。バターの味はした。香りもする。バターをバターとして捉えるのはあの白い、クリームがかった固形物だけなのだろうか。私はバターを塗ったパンを口に含んでいたし、いちごジャムを乗せる。できるだけ全体を覆うように。バターを覆うように。そうするとバターは隠れたと言うことになるのだろうか。バターのことはもう忘れさられてしまったのだろうか。いちごジャムをジャムだと思っていた。ジャムとはいちごジャムのことで、他のものはジャムでは無いと思っていた。ジャム=いちごジャムだった。それは批判されるべきことだっただろうか。塩味のスープを豚骨と呼ぶ感覚と近い。それは育ちのことだったのかもしれない。その家特有の呼び名というものがある。それがジャムだった。それがいちごジャムだったのだから仕方ない。

 

乾燥

 乾燥しているような気がしている。少し朝起きると鼻の中がムズムズしたり、喉がイガイガしていたりする。そう感じている。感じているということが重要なのかもしれない。貴重ではないかもしれない。丸メガネはジョンレノンみたい。そう言われるのはいちごジャムと変わらないことなのでは無いだろうか。それが知識であり、もうすでに思い込んでいることを忘れてはいけない。思い込んでいることに気がつかなくてはいけないのだろう。しかし何を思い込もうがそれはなんだっていいことだ。私が関与することでは無い。思い込みたいように思い込めばいいだけであり、どうしたって構わないのだ。どうしてそんなことまでむやみやたらに考えたり、ほじくり返そうとするのか。放っておけばいい。一度崖から突き落とすくらいでいいのだ。すぐ人に相談してはいけない。自分でどうしたいのか考えなくてはいけない。これは思い込みというより信念だろうか。そうやって自分を追い込みすぎてしまうことがあるのだから、もっと頼ったらいい。そうやって押し引きを繰り返す。何が正しいということもない。そのことを知っている人は少ない。知っていることは皆知っていた。認知していないだけだった。私たちはどこか捻じ曲がった事実を受け取っているのであって、捻じ曲げているのは自分自身の都合である。それが能力でもあるし、感受性でもある。独自の受け取り方こそが思い込みでもあり、感受性なのかもしれない。変える必要もない。どう受け取ろうが構わないということだ。必要なのは創造を続けることのみ。ただそれだけだった。結局そうとしか言えなくなってくるのだろう。ああだこうだという前に、創造せよ。辞めるな。続けろ。学ぶ必要はない。勝手に学ぶからだ。全て知っている。だから学ぶのだ。知識武装を捨てよ。裸になれ。抱き合い、皮膚と皮膚で直接触れ合うことだ。そう言ってまた我に変えるのだ。私は何を言っているのだろう。知識の蓄積なのだろうか。戦うべきは自分ではない。争いを止めることだ。戦うという概念を捨て去ることだ。なぜ争いが起こるのかを問わなくてはいけない。そしてそれは消えることはない。それでも問い続けることだった。疑問を捨てないことだった。思考を続けることだった。だからこそ休息する術を覚えることだった。好きにしたらよかった。それが音楽でなければ私の体には入ってこないのだろうと思うのだが、また音楽が鳴っていた。始まりの合図はピストルを上空に向け、帽子をかぶった男が、スーツを着て、そのトリガーを引き、何もかもが始まってしまったのだ。

 

f:id:mizokoji:20170930082934j:plain

今日は比較的、展示のお店にいる予定。

歌ったりするかも。