創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171003

緊張

 私が人前に出ることに異常なまでに緊張を示すのはなぜなのだろうか。嫌気がさすほどなのだ。いつも通りという言葉は通用しないのだ。自由な振る舞いなど出来るはずもない。私はそういう状態に陥る。全くもって自由ではない。だから人前なんて出たくないのだ。出る必要もない。出たくもない。こんなに苦しい思いをするなら出る必要なんてないのだ。なのにどうしてか私はなぜか人前に出て表現するようなことを望んでいる。家の中でおとなしくしていれば良いのだが、定期的に表に出てたい、自由に振る舞いたいといった気持ちがやってくるのだった。私は異常なまでの緊張に悩まされた。7日にライブをするのだがそのことに対してだと思われた。昨夜はそれが原因で眠ることが出来なかったのだ。不安要素を無くしていこうとノートに書き出したり、詩を書いたりしたがそれでも一向に気持ちの不安のようなものは落ち着かないでいた。展示をする時からこういう状態が続いていたのだが、私は一体何に恐れて、何に不安を抱いているのだろうか。どうして異常なまでに緊張を続けているのだろうか。私は夢を見ていた。それはまるで現実的な夢であり、私はそれを夢と呼ぶことはできない。私は夢の中に深く潜り込む。そして、私の内面を探る。これはトラウマではないとおもうのだ。トラウマと簡単に片付けてはいけないような気がしているのだ。私が形成された奥底の記憶のようなものであり、私はそれをトラウマと呼ぶことを嫌悪している。私は、父性に怯えていた。私は抑圧されていたし、まったく不自由な幼少期を送っていたようだ。それは未だに続いていた。私は男の威圧的な態度に怯えていた。男であること。肉体的にも私が敵うはずはなく、私はただ男を不快にしないために慎ましく生きることにしていたのだが、私は大人しくなど出来なかったのだ。私は衝動的であった。何よりも自分の内面が情熱的で、エネルギーが充満していることを知っていた。そのエネルギーを抑えることで、私は男の機嫌を損なわないようにしていたのだ。それが今の今まで続いていたことを私は忘れていた。私は男を恐れているなどまったく思いもよらないことだったのだ。私はなぜここまで異常なほど人前に出ることに緊張を示し、投げ出したいと考えるほど、不安で眠れなくなるのか不思議でならなかったのだ。なぜなら、私はまったく緊張というものを知らなかったし、何に対しても怯えることなどなかったからだ。私はそのことを知らなかった。それなのになぜか私は、記憶していた。体験していたのかもしれない。私は自由に振舞ってはいけないと思い込まされていた。男にではない。男の振る舞いに怯えた私は、自らがそういうルールを作りこみ、それが私にとっての絶対であり、そこから抜け出してはいけないとそう信じて止まなかった。だから私は異常なまでに緊張を示したし、表現することなどもってのほかだと考えていた。それを緊張として捉えていたが、これが緊張と呼ぶことが出来ないと私は考えていた。その理由は男だった。そして、私自身が作り上げてた破ってはならないルールだった。

 

幻想

 私はいま大きな何かに気付き始めていた。私を押さえつけていた、不自由な何かが私が眠る間に何度も、何度も現れたのだ。私はそれを見ていたというよりは体験していた。実際に体で何度も触れて、味わっていたのだ。私がこれまで緊張として捉えていた体の束縛は全くそうではなかったのだ。記憶だった。体の記憶。私はそのことを思い出していたのだ。原因を潰そうとはおもわなかった。そのまま存在し続けてくれていてよかった。私に消すとかなくすとかそういうことをすることはできないし、そんなことをするつもりもなかった。私はただ共に歩むだけだったのだ。これは怒りでも悲しみでもなかったのだ。ただ私の認知の問題だった。私の記憶を私が捻じ曲げていた。ただそれだけでよかった。私が作り上げた確固たるルールを私はもう手放してもよかったのだ。私は未だにそんなルールに縛られていたことに愕然としている。私は表に出なければならなかった。私は恐れていてはならなかった。私は公共物だった。私は自由だった。湧き水だったのだ。私はそのことを思い出していたし、知っていた。それでも私は何かに縛られ続けていたのだ。男の存在だった。見た目を批評されることや、意見されること、力では叶わなかったこと。それはもう過去の話であった。私はもう何にも縛られてはいなかったのだ。解放せよ。私はもう解放された。この瞬間に解放されたのだ。だから私は共に歩むのだ。鎖を持って歩くのだ。私は鎖をアクセサリーにする。縛る道具として使うことをただやめるのだ。鎖は無くならない。鎖をどう活かすことが出来るかをこれから考えるのだ。私は家にする。それを鳥の巣にする。それは空間となる。私は工夫する。それが今の私のだ。発見した記憶を投げ捨てようとはおもわない。これから共にどう歩んでいくのかを対話しながら考えていく。一方的にはしない。そんなことを私は望んでいるのではなかった。私は共に歩むことを望んでいた。恐れと共に歩むのだ。今となっては恐れですらないかもしれなかった。私は過去を捨て去ろうとはしない。そして今の自分を大きく変えようともしないのだ。今まで通りで十分幸せだったからである。これまでも幸せだったのだ。私は幸福だった。不幸であると思い込みたかっただけなのだ。それが人間のしたいことなのかもしれないが、私は騙されなかった。これまでも大変幸福であったことを私は知っていた。十分すぎるほど満ち足りていたのだ。ただ私はちょっとした鎖に縛られていただけなのであり、男の仕業だとそう思い込んでおく方が楽だったのかもしれなかった。私には不要になったそのルールをもう手放すのだ。私は不幸だったと決めつけるのはまったく問題外だった。私はいつの日も恵まれていたし、幸福だったのだ。愛に包まれていた。愛されていたことを知っていた。人にだ。その愛情を過剰すぎるほど多く受け取っていたことを知っていたのだ。だから私は外に出て振る舞うのだ。私は湧き水自体になるのだ。それが私の役割のようなものであった。恐れや緊張は幻想だったのだ。私は夢を見ていたのだ。

 

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恐れていたものが何かを知った。

それは緊張ではなかった。

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