溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171006

招待状

 これから始まろうとしていることは誰にも知らされていなかった。私は招待状を握りしめていた。どこへか。これはどこへ向かうための招待だったのか。私は半信半疑だったが、快く受け入れた。曖昧な状態だった。これは私たちの判断だったのかもしれないし、私たちによって作られた招待状だった。手書きだった。文字は書かれていない。壁画のような絵だった。子供の落書きのようにも見えた。「私にはよくわからないわ」それでよかった。構わなかったのだ。言葉の中にあるものはそうではなかった。何かを感じているということだった。決して知識ではなかった。続けるとは楽しいことばかりではなかった。それすらも楽しいのか。そういう感情のようなものに左右されない。ただやっていることだけだった。それが私の元に残っていた。それこそが招待状であった。そのことに気づいたのは招待状を受け取ってから随分経ってからのことだった。私は生まれた時からこの招待状を手にしていたし、ずっとずっと肩身離さず持っていた。これは持っているべきものであったのか。私はその返答に困っていた。私は何遍だって手放そうとした。私には読解できぬと判断した。諦めたわけではなかった。そう判断していたことが多かったというだけだった。どこかへ誘ってくれる音楽であれば良い。それが私にとっての絵だったのかもしれない。それは動きであり、水だった。私は水自体だった。そうやって客観視した。少し先へ進んでいる。私は水として先に進んでいるが、私は水と同一化しようと試みている。これは自我なのか。そんなことを考える余地もなく、私は蒸発していた。空へと、形に変形。変貌。変わり続ける。死ななかった。私は成り代わっていた。様々な形態に、形に、体に成り代わった。私から離れていった髪の毛、爪、つば、汗、排便、尿、精液、そう言ったものすべてに成り代わることが出来た。私は漂っていた。何もかもになり、香りにもなっていた。声は周波数か。私は周波数同士で集うのか。こうやって集い合うことは必然か。それだけですまされようとも思っていない。私は革命家。私自身を変貌し続けるのだ。権力者は私自身だった。私が私の権力を握っていた。私こそがその張本人だった。女はそのことに気がついていた。愛想を振りまいていた。嫌悪感はなかった。たとえ意図していたとしてもそれは必然であり、決して批判できるものでもなかった。私たちは誰かに求めているのだろうか。なぜ相手に求め始めるのだろうか。お前たちのことを言っている。俺はそのことを何遍も問うているのに、お前たちは一向に他人に目を向けて、他人をああだこうだというのだろう。お前が他人にアドバイスしたその言葉をお前が何よりも望んでいることを知っている。相手のことを考えているようで自分自身の望みしか考えていない。それは悪ではない。それはなんら悪いことではない。こうやってまた善悪をつけるのだから笑ってしまう。私は笑っていたか。頬の筋肉を揺らしたか。音を立てたか。腹の底から笑ったのはいつか。思い出だったのか。それはもう思い出になってしまった。遠い昔のことよ。彼女は遠くを見つめて、思い出の中で生きていた。思い出を見つめて、まるで今は、現実は遠くへ。逆転していた。空間は歪んでいた。空間など見えるはずもなかった。それなのに頑なに見えないものがあると固執していた。それは固執すべき事柄でもなく、ただ手のひらを押し当て、じわりじわりと拡張を続けるものだった。見えると主張するものでもなかった。漂いだった。圧迫感であった。それは馴染んでいた。馴染むことができた。時間が経てばその漂いは馴染み、穏やかな湖へと変貌を遂げる。どちらも存在していたのだ。どちらも自在に。私たちはそういった時間の中で生きていた。踊っていた。足が地に着くことはなかった。待っていたのだ。交信していた。接続、継続、ダンスダンス。

 

 朝起きた時の体の張り具合が違う。体をほぐしたり、ストレッチしたりする。そういうことで体の調子というのはだいぶ変わってくる。何か、イベントごとがあるから体の調子を整えようとするでもなくこれは日々継続するべきことだった。体のことを大切に扱えているか。私はそのことを問いかけた。なぜ遠回しにするのか。遠くへと押しやるのか。もっとも私と近いのは体のはずだが、どこか遠くの人や、情報の方がお前には重要に見えるのだ。体はどこへいった。語りかけていたのは体だった。

 

気温

 気温が下がってきて体の冷えを感じるようになった。手先や足先、気づけばお腹周りも冷えてくる。根っからの冷え性だ。うんちの出も悪いと感じるようになってくる。滞っているようだ。首を回したり、肩回し、足を揉んであげたりする。こういうことが後回しになってはいけない。最近ひどい落ち込みというのはない。うまく寝付けずに疲れてしまったり、人と会うことで疲れてしまったりすることはあるが、疲れを取るための方法がわかってきたのかもしれない。反動でよく寝ることもある。パソコンを開かないようにする時間を作ったりもする。疲れたら横になる。そうすると心臓が休まる。とにかく心臓は止まることなく動き続けている。休めるような状態を作ってあげることだ。頭、顔、首、肩、腕、手、指、背中、腰、尻、腿、ふくらはぎ、足首、指。体はどこまでもある。内側もある。その奥も、ずっとずっとおくも私の体。変態した。体が変態していた。変動。変容。移り変わり、季節のように。季節の中に私はいたのだろうか。私は気温のようなものか。湿度にもなる。雲になり、雨、水たまり、土、樹木の香り。雨宿り、木陰、大切なものは森の中にある。木の下にある。安らげる場所はあるか。ここにあったはずの木はどこへ行ったのか。樹木の声。大地のざわめき。揺れ。そして波。何もかも人間になった。人間であろうとしている。私は人間になろうとした。なぜ人間になろうとする。私は気体か、液体か、粉末。粉々だった。垢、骨の粉末、絶えず垂れ流す。漏れだすのは液体。浮かび上がる気体を背に、私は溶けていたのだ。水たまりのなかに撒いた。放射線状に広がった風、とんびの声。それは風の声ではなかった。川のせせらぎか。山の雄叫びか。時間は止まっていたのではない。静まっていただけだった。静寂こそが森であり、呼吸だったのだ。

 

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だいぶ涼しい。

明日は展示会場でライブだよ。