溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171009

私の膝の上

 私は膝の上にそっと乗せた。それは猫だった。猫を撫でていた。そっと声をかけた。語りかけた。それは文字だった。描いていた。膝の上には男の子。5歳だった。まだ小さかったが、意志を持っていた。子供だからと言ってはいけない。子どもこそしっかりと意志を持っている。考えを持っていたし、感じていた。ありがとうと言った。無下に扱ってはいけない。聞く耳を持たなくてはいけない。そっと寄り添えるかどうかだった。声にだ。言葉が持つ意味ではなかった。音楽。声として聞き取ることだった。音そのものとして感じ取れるか。声を聞くのだ。まるで空の広がり。海の漂い。湖の静寂。そっと肩を寄せ合って、寄り添うのは風。地下室には鼠襲来。どっと押し寄せる。顔面の川。皮は張り裂けて、口ずさむ。膝の上の少年。片手にギター。片手に睡眠。どちらも握る。手繰り寄せ。君はゆく。たらららら。たらったららら。らんらんらん。昔の掛け声だった。たらららら。たらったららら。らんらんらん。誰しもが覚えていた。昔聞いていたあのエレクトーンの音色。それを私は聞いていた。家の中には音が溢れていたのだ。優しくそっと寄り添っていたのだ。それは肌の触れ合いだった。肌と肌が離れることはなかったのだ。皮膚を通して行われる、問い。問いかけていた。問いかけに対してあなたはどう答えますか?質問がうまかった。私はなされるがままに言葉を垂れ流していた。洪水だった。過剰供給。泳いでいたのは男の子、犬、猫。犬かきしていた男の子。どちらも犬と言えるのか。猫は犬かき?二重の音楽。それは英語のようだった。言語的にはそうだが、言っている言葉は全く独自の言語とかしていた。それこそが重要。それこそが重要。猿が連呼。与えるバナナ見向きもせずに、猿が連呼。それこそが重要。それこそが重要。私の膝の上にいる猿。人、類人猿。私も猿。水。バナナバナナ。1本だけで結構です。受け答え。返答に困る。答えに困る。答えがないからである。終わらぬ対立、正義のぶつけ合い、終わることない、だだだだん。だんだんだだん。だだだだん。これも音楽。昔聞いた、リズムとメロディ。体が揺れる。貧乏揺すり。それこそが音楽。体から溢れる、無音のリズム。休符、休符。

 

曖昧な色

 どうやら勘違いしていたのは私自身だった。誰のせいでもないのだ。勘違いなだけで、私のせいでもない。私の認知次第。考え次第。許したい。何もかも。私は何もかもを許している。そのことにしか興味を持てなかった。何もかも、悪態すらも、恨みすらも、全てをそっと癒すことだった。私はそのために声を上げていたし、ただギターを持っていた。ギターを弾くことはなかった。ただ奏でていたからだ。奏でることにしか興味がなかったのだ。そうやって私は充満する勘違いに対して終止符を打つ。終わりにする。終わらせようとする。癒せるのは自作自演。癒し続ける自作自演。やれやれやてまえ、広島県。もみじ饅頭は様々なパッケージに彩られて、味を自在に変えることができた。自在に変更、流れ行く。変貌、返信、変幻自在。これは夢ではなかった。どうにだってなれたのに、どうすることだってできたのに、悲しみに打ちひしがれる、夏の終わりの、まだ夏。終わらない夏。半袖で十分、日差し十分。漂う汗。蒸発。侵入。どこまでも空へ。土に沁み入る。ようござんせ、ようござんせ。よろしくどうぞ。家族のことを考えていますか。私たちは家族だった。どこで分かち合えなくなったか。共鳴。誰も否定しない。否定されてもお構いなし。そういうことは大した問題でもなかった。漂えば良かった。立ち去ることだった。それも蒸発する技術だった。不快に身を置くことはありません。健康第一。自分の健康を守れればそれで良かったのだ。それこそが重要であった。街になった。そよ風。すきま風、屋上のおむすび。味噌汁を飲んで、そっと心が穏やかになるのだ。そこに通り過ぎていく風。おかかが揺れる。踊る。舞い上がる。空へと飛んだ。どこまでも飛んだ。次の街へ、次の街へ、次へ、次へ。連続、連続、止まることなどできないのだ。止まるとはないか、それは死か。止まるが動く。それ重要。どちらも共存。それが分裂。一つになるな。まとまるな。集合するな。組むな。分裂せよ。同時思考。飛び回れ。曖昧でいろ。曖昧な色。それが私の持つ絵。私はただ曖昧な色。それが今回な展示。曖昧な色たちによる。曖昧な主張。首長たちによる集会。密会。オープンな密会。漂い。それがこの展示。ここにあったのは曖昧な色。

 

曖昧で確固たる巣

 私はここにきて気づいていた。私が描いたものに対してだった。それを明確な絶対的な答えとして主張する気もさらさらなかった。これはまったく答えを持つなという力強い、そして弱い主張だった。アンバランスな状態だった。グラグラと揺れていた。安定などしなかった。その状態こそが曖昧さを生かす状態だった。どうして、明確な答えが必要なのだろうか。曖昧な中で生きれば良いのではなかろうか。どうして何か正確な答えを求めようとするのか。何が欲しい。望みはなんだ。そんなことを通り越せばいいのだ。ただ交信せよ。それは自我か。それこそが欲望か。通り越した先のことを知っているか。そこに俺はいたんだ。ずっと昔の話だ。かと言って明日もそこにいるだろう。そこと言っても決まった場所じゃない。住所はないし、名称もない。縛られない。数字や言葉に縛られない。それなのになぜ書いているのかと問いを持つ。それこそが重要、それこそが重要。問いただせ。問い続けるのだ。俺はここにいたんだ。明日からもいる。これは時間軸の話ではない。次元の話でもない。大地の話だし、宇宙の先にある点の話だった。お前が見た紙の向こう側だった。そこにある点の連続。点点点点。どこまでも続く一点をお前の目がとらえた。それを嗅いでいた。点からの漂い。それこそが曖昧さだった。それは形による。形に依存する。誰しもが依存。依存しているから自立。立ちくらみ。そこで輝くは光。光量。調整せよ。調整せよ。その一点に向けて調整を続けることだった。その先に何が見える。何がある。お前を超えろ。お前を殺せ。俺はそこにいたんだ。俺たちの巣はそこに存在していた。いたって曖昧であり、確固たる巣だった。

 

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今日で展示終わり。

ちょっとさみし。