創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171016

季節の変わり目

 寒い日が続く。まだ体が適応してこず朝起きるのが少し辛い。季節の変わり目はよく夢を見ているような気がする。夢の中で起こる出来事、現れる人について注目をする。夢を見るのもテクニックであると思える。確かに感情は動くし、そこで追体験している。過去の清算なのかもしれない。忘れていたはずの、もう終わっていたはずの記憶が蘇る。まだ覚えていたのかと呆気にとられるがそれが重要。また体験する。体験に次ぐ体験。何度でも繰り返す。数をこなす。寝ている間も体験していること。それが夢で生きるテクニック。危機的な状況を何度乗り越えたか。夢で乗り越え続ける。夢事態になることだった。注目すべきは反応である。体に起こる反応であった。深層へと向かう。忘却してはいけない。深層に眠るのは自分自身。夢こそが現実。夢に真剣になれないのならそれは現実を否定していることとなんら変わり無い。夢こそが重要な生命の役割であり、交信なのである。蔑ろにしてはいけない。むしろ最重視すべきだ。見直すべきは軽視してきたことである。無意識を無視し続けてきたこの現状が今なのだから致し方ない。すべて自分自身が作り出している現実だということを知らなくてはいけない。辿るための夢であるのだが、単純な話で終わらせてはいけない。深く考察する必要があるし、単純に体験する必要がある。これは夢の国ではない。廃墟でもない。創造から生み出された都市である。眠ることもまた重要な職務にあたるのだが、それを無視してなにもかもは遂行されていた。眠りの技術こそ重要。夢見の技術こそ重要。無視してはいけないはずが、車は爆音を響かせて街を巡回、迂回。響き渡る怒号。土砂崩れ、雨による陰謀、対話、詩人である雨の体を使った生命体。零れ落ちる涙を拭き取ることはあってはならない。ただ流さなくてはならない。防波堤、壁、壁、壁。こうやって景観は壊されて行く。気づけば海沿いには乗り越えることすらできないほどの高い壁。防波堤。海を渡ることの禁止、鎖国。内へ内へ。鎖国では無い。うちに向かうということはどこまでも広がり続けることを意味していた。書くことへの冒涜。かつての小説家、詩人、執筆業を営んだ人類への冒涜である。それは壁だったのだ。海に沿って建てられた壁。防壁。守られているのは威厳であった。尊敬の眼差しで見ることができるのは限られた人物だったのかもしれない。彼女は自覚していない。しかしいつの日も尊敬の眼差しで人を見続けていた。そうやってじっくりと観察していた。そして傾聴した。耳を傾けていたのは内面に轟く音楽、音色だったのだが、自然と調整、調律することが仕事だったのだ。代金はいただかなかった。報酬ではなく、奉仕だったのだ。それなのに彼女の元にはお金が自然と舞い込んできた。これは彼女を生かすべくして集まるお金であったし、彼女はありがたくその代金を受け取り、そして投資をしたのだ。そしてまた彼女の元にはお金が舞い込んできた。そしてまた投資、投資、投資。彼女の手元にはお金はなかった。それでも生きていける知恵を持っていたし、山へ海へと出かけて行った。食べ物に困ることはなかったのだ。お金でなくても食料もが彼女の元に集まるのだ。そうしてそこで余ったものも保存食として創造。また彼女の手元を離れ、奉仕、奉仕。それが自然に成り立っていたのだからこれは夢か。夢と言っていいのだろうか。夢を軽視したことによる冒涜、氾濫、それが洪水。雨による知らせ。それこそが泥濘。一歩を踏み入れた時そこにあったのは脱獄を試みた絵だったのだ。それは線だけで描かれていた。ドローイング。線への関心、象徴。線で人を感動させた男。男は色を捨て線だけに没頭していた。絵画で重要なのは作り上げられた線でも、色でもなく、細かさや正確さでもなかったのだ。ただ線に乗り移る人格、出会い、興奮、感動、涙腺の崩壊、涙、涙。男の線に写り込んだのは生命だった。脱獄を経て描かれたその線に私たちは歓喜、許しを乞おうとした。しかし男は難病に侵されていたし、この世を去っていた。それでも男は線の中で生きることを誓う。線に浮上するのはその漂いだった。確かに男の香りがそっと鼻を伝ったのだ。そのことから考察すべきことは何か。それは正確な線ではなかったということだ。正確さとは何か。それが美しさであるという人間の不正確さであるのか。それこそが崇拝であり、冒涜であるのではないか。男の線が漂わせたのは世の中に対する否定ではなかったし、時代背景でもなかった。ただ純粋な絵を描くことに対する喜びと、線に漂わせ続けた内面描写の世界であった。必要なのは金色の額装ではなかったのだが、そのことを知る由もなかった。私たちはまったく関心しきりだった。男の生み出した線に心酔していた。それは知識や技術の表現ではなかったのだが、男は確かに知識と技術をものしていたのだ。しかし男が忘れていなかったことは、線に乗せるための、その夢見の技術であったのだ。それは深層、無意識、景観、警備の目を盗み、日々眠りの中で行われていた、幻想的であり現実的な行いであった。男は音楽を嗜んだが、絵の道へと歩む。しかしどちらも歩み続けていたことが重要なのだ。捨て去ったわけではなかった。これは推測であるが、男はすっかり分裂しているようだったし、生死をさまよっていた。力は明らかに衰退、しかし見るものを驚かせたのはただ1本の線であったのだ。そのことを忘れてはならなかった。そこに漂わせる技術こそが今重要であるのだが、何よりも口から出まかせ、権力、権威の象徴。駆け抜ける高速で。高速で駆け抜けていく。手を振る。それは雇われであったのだが、それを茶番と言わずなんと言い表せばいのだろうか。これは日常生活に潜む闇であった。蝕まれていく日常を私は手放そうともしない。混乱している。錯乱し始めているのだ。迫り来る悪魔、嫌悪、暴動。日常を脅かす、音源、爆音。何も心地よく無い。その状態への批判。そもそものその漂わせる、騒音を否定。かき鳴らすべきは深層である。漂わせるべきは深層である。奥の奥である。その漂いこそが、人に届く言葉なのだが、そのことが忘れされていることに焦燥感を覚えている。そして雨は降る。止まなかったのだ。

 

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雨が降り続いています。

 

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