溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171017

コミュニティ

 あまり難しいことを言っても仕方ありませんでした。ふとそういう言葉が流れ込んできては出ていくのです。ただ単純に、あの頃。あの頃というのは10歳から12歳くらいの頃にあった記憶なのかもしれませんが、私は確かに様々なコミュニティを行き来していたのかもしれませんでした。そこで起こる歪みのようなもの。それが関係性を示していたのであり私はそこに着目。これは捉え直すという行為なのかもしれない。忘れていたはずの人物、場所、時間、そういうったものがもろとも拡張。全て流れ始める。それは全てが同時平行であるのだが、関連性のないはずの男女がそこで出会う可能性もあり。どちらも捨て難い事実であったし、そっと観察。傍観に近かった。決して参加することはなかった。それでも体は反応していた。重苦しい時間が流れると言った風に時間が重たいと感じる時、それは同時並行で察し続けてきた私自身への音量として捉える。何もかもをかき消すような音量。そしてこちらの世界へ入り込む。雑踏のなかでその一点に耳を傾けるのもまた悪くはなかった。まったくふわふわと浮かび上がる声のダンス。これはダンスとして聞いていて良いものなのだろうか。この場所は混乱していた。混乱を生みだしながら入れ替わり、立ち替わり、出入り自由。席の空きをお先にご確認ください。

 

圧力

 オダは泣いてた。私はその姿を鮮明に覚えていた。私はとある選抜にチームに選出された。オダは選考漏れだったのだ。そのことでオダが私に対する態度を変えることはなかったし、いたっていつも通りの付き合いは続いた。しかし問題はそこに関わりがあった人物間ではく外野からの抑圧であった。それは家族ぐるみで行われていた。これは私の妄想であるかもしれない。私が感じていた圧力について話をしている。私は小学生の頃から人間関係が及ぼす圧力についての研究。立ち居位置についての考えを書類にまとめていた。それは同一線状にいたはずの人物が何かしらのきっかけを元に歪みの元になるという事実であった。それは目であったし、空気でもあった。制圧的な空気のことであった。批判的であり、嫉妬的でもあった。私はそういう渦中になぜか居合わせることになる。それは外圧的な力。押しつぶされるかどうかは自分次第だった。私たちはあのころ確かに"選ばれる"という世界で生きていた。選ばれなければ価値のない競争的な社会で生きていた。それは望んでそうなったというよりは、いつのまにか選ばれていたのだ。選ばれた人間が選ばれなかった人間に注がれる視線とは如何なものか。それは恐ろしくもあり、ただの視線でなんら関係のないものだったし、私はただ自分の欲望に向かっていったのだ。ただその衝動に向かって突き詰めていったのだが、そうして挫折した。しかしそれを挫折と読み取ったのは果たして誰だったのだろうか。私を締め付けていたのは外圧的ではなく、その体験であった。体験からくる知識だった。その抑圧であったのだが、それは体験したものしかわからないのかもしれない。原因不明の圧。それはある日突然やってくるのだ。予想できるものでは無いし、様子が変わるのだ。何もかもの関係性が変化する。そのことに敏感であったのは私自身であった。私はその空気と言える、陰湿な重苦しい状態を幾度も体験していた。オダこそが強かったのだ。オダは選出されなかったことで自らの道を歩み始めることになるのだが、私は一体なんだろうか。私は決められた枠の中にしがみつき、弱い状態、勝ち目のない世界への挑戦、才能との葛藤。ただそういう場に居合わせていたというだけであった。そういう場が私の前に用意され、それは困難だったか。困難と言えるものだっただろうか。私は乗り越えたのだろうか。しがみついていただけではないだろうか。私はただ選出、選抜による、優越感に浸り、入り浸り続けていた。しかし私は選出されたその社会の中でまた序列が生じること、また関係性の構築、観察、考察が必要であることを知る。私はのめり込まない。ただ観察を続ける。

 

歪み

 私は自らの道を進み続けた。周りのことは置いておいてだった。ただ進むべく道を歩み続けていたに過ぎなかった。それは自然なことであったし、有頂天になっていたわけでも、天狗だったわけでもない。ただその移りゆく環境の中でついていくことが必死であったし、それは私にとって大変困難なものであった。そうやって関係性が堕落する。離れていく人物との駆け引き。その歪みのなかで立ち往生。泳ごうともしない。ただ沈むのみだったのだ。その状況下で私は何を歌い、何を描くことができたのだろうか。今となっては遅い。そんなことを言っても仕方のないことかもしれなかった。ただ新たに気づき始めているのは確かなことだった。何かが違かったのだ。何か違う世界の中で生きてきたし、これは生まれ持った使命感のようなものだった。そういう感覚が私の中にあり、そうやって選ばれているのだと自覚。自覚しているのは隣でコーヒーを飲んでいるおじさいさんだった。彼は黒いハットを被り器用に電子機器を使いこなしていた。私は伝えなくてはならない宿命にいたのだ。宿命からは逃れることが出来なかった。伝え続けなくてはいけなかったのだ。「お前は何を感じてきた、お前の生きてきた世界で一体何を感じてきた。お前は成し遂げなければならい。お前自身が突き詰めなくてはいけない。奥の奥へ。そこへいけ。たどり着くことだ。その宿命の中にいる。それは定めではない。ブランコの揺れと同じだった。空を飛んでいるみたい。そんなことよりも立ちくらみ。酔っていたのがお前だった。傍観せよ、傍観せよ」。こちらから歩み寄ることなど出来なかった。もう遅かったのだ。私はいくところまで行くしかなかった。だからいま出会えたことに感謝。今出会っていることこそ幸福。それこそ現実的であり結果だったのだ。どこまでもいけばいいのだ。私たちはどこまでもいけばいい。少し耳を傾ければ分かることなのだ。これは私たちによる合唱だった。そこで指揮するのはハットを被ったおじいさんだったのだ。これは歴史の話だった。その指揮のもと私たちは歌い踊っていたのだ。まるでダンス、まるでダンス。コンタクトインプロだった。体と体が水のように流れる、ただ漂っていたのだ。深みにいた。深みの中にいた。決して否定することではない。進むしかないのだ。共に歩むというのがスタンスなのだ。ないがしろにするな。無視するな。全ての声がお前の声だと思えばいい。お前が生み出した、お前が作り出した声の集約であることを忘れてはならない。

 

f:id:mizokoji:20171017163908j:plain

雨が止んだ。