創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171018

太陽

 久々に晴れ。洗濯物が大量に踊る。少し風はあるが心地よい天気。暑かったり寒かったりするので服装に悩む日が続く。軽く羽織って体温調節が出来るように。太陽が反射する、アスファルト、バス、ビルが眩しい。ありがたいと感じながらも少し憂鬱な気持ちにもなる。刺激が強すぎるのかもしれない。太陽は強い。眩しすぎるのだが、それが光であり、それは誰にも備わっているのだからその輝きから目を背けてはいけないのかもしれない。言葉を手繰り寄せようと考えた時に体は震える。揺れる。貧乏ゆすりという名前がいけない。その揺れこそが体から生まれる創造である。揺れこそが衝動、表出、内面への入り口であるのだ。私たちにとって必要なのはビルでできる日陰ではなく木陰であった。すなわち土である。埋められた土の救出、救急隊の出動、禁止事項を増やすことではなかった。問題点を持つのではなく、問いを持つのだ。それは私たちの中にあり続ける。常に問いを、問いを、問いを。問題意識ではない。それは問いでしかないのだが、絶対的主張である。問題点を大声で語る時それは騒音になりかねなかった。騒音はダンスすることが重要。体から放出させることがまた必要。それは感情的な動きであり、それを音楽にするならば論理的でなくてはいけなかった。感情だけではいけなかった。辿り続けることが重要だった。どこまでも辿り続けるのだ。目の前で買わされる書面のやりとりから目を背けなくてはいけない。またそうやって何か無思考な世界で生きるものが食い物。自己責任論。自己責任を問題視。問題にする前に問い続けることだ。これは内面で起こる。どこまでも内へ、内へ、内へ。呼び覚ませ記憶。創造。抜けた。飛び抜けた。浮いた。飛んだ。フワフワと綿毛。空高く、もう見えない。目を凝らす。また潜り込む。綿毛の中へと侵入。繊維、空洞、断片、粒、粒子の欠片集める。収集癖は直すべきものではない。育てるべきものだ。耳から流れてくるのはピアノの音だった。交錯していたのはエレクトーンの音だったのだ。まったく表情は晴れなかった。この語らいについて議論のあるものはいるか。私は妨げることに必死だったのだが、そのことは内密に行われていた。私の感受性について問うているのか。そこにはなにも生まれない、鼓動のない声、罵声、罵声、罵声。これは罵声だった。その微笑に嫌悪。沈黙。声のある沈黙。かき消すための演奏。どこまでも響く。鳴り響き続けるのだ。晴れない顔。一方的なアポ取り。それは営業ではなかった。また始まった。どこにでも充満。不意な笑顔。許し難き行為。胸は締め付けられた。また起こり始めた。かき消せ、かき消せ、怒号と共に消し去ろうと試みた。それはコミュニケーションであるのだろうか。コミュニケーションですらなかった。それは言葉ですらなかった。笑い声ですらない。頬の筋肉は引きつっていた。動いてはいた。合わせて動いた。喉はなっていた。話が入ってこないのはどうしてかと考えなくてはいけない。1234連打、連打。文字の連なりである。それこそ数字の奇跡。瞬く間に起こる衝動。滝、激流に飲まれ、相槌。空と川の相槌。出会い。交流であった。緊迫感はなかった。緊張感も生み出すことはない。消え去ろうとしていた。天空へと伸びて、伸びて散り散りに。意識。朦朧とする意識。否定、反論、反撃、無知に足しての静かな抵抗。気付かぬ本体。本体はいつの日も流れて行く。底に目を向けなくては何も変わらなかったのだ。根本に目を向けなくてはいけない。なぜ人は殺し合うのか、なぜ自らを殺すのか。これは代理店同士の争いであった。代理店同士が争い奪われる自由。それこそが最大の損失。それこそが危機、危険な状態であった。見聞きせよ。しっかりと見聞きせよ。体を揺らせ。踊れ。目覚めよ。表層に乗っかった問題点をどれだけ解決したところで何も解決しないのであるが、たどり着くことはある。結局は表層の問題に目を向けろとそれが現実であるのだ。しかし、それよりも見聞きをするべきである。静かに佇むことだった。手は震えていた。恐怖ではなかった。向かうべき場所に向かいなさい。逃げながら向かいなさい。後ろ向きでも構わないです。ただ向かうことでした。ただ辿り着くことでした。人間を辿りなさい。言葉に着目しなさい。そこにヒントがあります。そこに人の漂いがあるでしょう。そしてまた漂いから人物の観察、出会い、考察しなさい。そうやってどこまでもどこまでも私たちはつながり続けているのです。深い場所で、出会う、蜘蛛の意図。か弱く心強いその糸こそ辿り続けるべきだった。共に歩みなさい。方向は委ねればいい。ただそれは一方向であり、多方向、多面体。複合、ジャズ。即興。インプロヴィゼーション。これは即興ではなかった。ただ訓練といってよかった。日々の積み重ね。ただ積み重ねること。その訓練。たまるたまる。それは宝か。金か、黄金か。それでもよかったのだ。換金することは可能。そこに気がつかなくてはいけない。どこまでも深くたどり着くことだった。それこそが換金である。それが換金のルーツである。経済なのである。それは思考、思考、言動による行動促進。創造への促進。やめることなき創造、行動。飽くなき探究心。燃える雨傘。頼る雨粒。どこまでも依存、依存、依存。依存こそ自立。依存なき自立などあり得ないと言う。どちらか一方では成り立たない。まったく今行っていることが数秒後には正しいのかと判断ができなくなってしまうのだが、これは反省ではない。反省でも、内省でもない。ただの表出であり、表れであったのだがそのことを恐れていてはもう進めないことを知っている。止まることは許されなかった。私は許可した。何もかもを許可した。許さないことも許可した。許可を許可したのだから、なにもかもが許可の連続だった。そしてそれは署名運動として地域を飲み込み始め、国、そして国境を越える。それが運動の根源だった。根源は私の中に、私たちの中にある。これは声だった。言動だった。太陽の反射による声だった。アスファルトからの伝言、その下で眠る、迫害を受けた虫の声。それでもなお許されると思ってはいけない。いつまでも黙ってはいないのだ。許されると勘違いしているのは人間のみである。いつまでも平気だと息巻いているのは人間だけである。それこそが死者を生む要因であった。

 

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久しぶりに晴れ。

行き先は見つけるのではなく、作ればよかった。

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