溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171020

 曇り空。小雨が降ったり止んだり。少し雲の隙間から太陽が漏れ出てくる瞬間もある。太陽に期待して洗濯しようかと考えるが、また気づけば曇り空になり雨がパラついてくる。昨晩は鍋。ごま豆乳スープ。白菜、大根、さつまいも、もやし、豆腐、えのき。シメにラーメン。大根は下ゆでする。分厚すぎない程度の輪切りに切り分ける。そこから豆乳スープの海へ投入。いい感じに柔らかく煮えて満足。さつまいもも煮崩れしない程度に程よく煮えてこちらも満足。最近は鍋の豆腐が美味しい。あの温かい物体が少し砕けて喉を通り胃へと到達するまでがたまらない。固形物が入っていくが、確かに溶けているというか砕けていくのだ。しかも温かいまま。それが体を温める火種のようになっている気がするのだ。えのきともやしは食感重視。柔らかいものの中に歯ごたえのあるものが加わると口を飽きさせない。白菜はいつのまにかとろとろに。芯もとろとろになるのだから不思議な存在である。あまり固いままの白菜は得意ではない。野菜全般そうかもしれない。できるだけ柔らかくして食べたいという気持ちがあるのだ。そうすると抵抗なく喉を通っていく。苦手だったものでも、少し工夫すれば食べやすく抵抗なく食べれるようになるものだ。味にも慣れたのかもしれない。どうして子どもの頃野菜が嫌いだったのだろうか。食べると戻しそうになってしまうのだ。ポテトサラダなんて涙を浮かべていた。うどんやラーメンは好きだったがパスタは嫌いだった。ラーメンは醤油ラーメン以外は食べることが出来なかった。親にはその違いがわからないと言われたが、どうも何もかもが違って感じてしまったのだ。味に馴染むことが出来なかったのだ。それは私の中で大きな問題であったし、そもそも食べものすら馴染むことが出来ないのだから困り果ててしまった。幼稚園や小学校に行くと好き嫌いなく食べる友達を見てはいたたまれない気持ちになっていた。クラムチャウダーやシチューはいまでも口にすることはほとんど無い。

 

小学生

 学校でのクラスの中には多種多様な人間が存在し、そこで規律を守りながら生活をともにする。規律を乱そうとする子もいれば、そうでなく静かに過ごす子もいる。また少し変わった子もそこにはいる。どうも何か様子が違うと言った理由で虐げられたりするのだ。それは精神面によるものが大きかったように思う。私は築き上げて来た関係性を崩さないようにと注意深くその中に潜伏することを試みたが、ボロが出たのはだいぶ時が経ってからであった。人よりも出来ないことが多いと感じていたのだ。縄跳び、鉄棒、水泳、サッカー。勉強もそうだ。どうも上手く出来なかった。それでも、なんとか人の関わりを見出したのは絵を描くことであった。それは小学校4年生の頃だ。自由帳に絵を描く。そこにキャラクターを生み出す。アホ星人である。ゲームに出てくるキャラクターを着せ替え人形のようにしてアホ星人に着せ替えるのだ。そのキャラクターの反応が周りの友達からも良かったことで僕は少し自信を取り戻したのだ。ゲームが好きでその世界にのめり込んでいた。当時のゲーム機は大体家にあった。スーパーファミコン、64、プレステ。しかしロールプレイングゲームをほとんど自分でクリアすることはなかった。兄や父が先にクリアしてしまうのを見て、飽き飽きしてしまうのだ。どちらかというと終わりのない野球ゲームで選手を育成し自分だけのオリジナルチームを作ることに没頭していた。プラモデル、ハイパーヨーヨー、カードゲーム、ミニ四駆もして遊んだ。当時流行っていたことは大体手をつけていた気がする。しかし、どれも長続きするわけでもなく一過性のものであった。小学1年生で野球チームに入るもすぐにやめてしまった。家にいる方が好きだったのだと思われる。4年生になり再び野球を始める。毎日テニスコート、通称テニコーと言われる場所で壁当てやバッティング練習をしていた。アスファルトの地面で。グローブはすぐにボロボロになってしまったし何度か買い換えた。それでも愛着を持っていたからか長く使い続けた。ものがなくても遊んでいた。家の中を探検する探検隊である。押入れの中に潜り戸を閉めて暗闇を探検したり、物置で宝物の発掘するのである。空を飛んだり、かめはめ波を出したりもした。なんだって出来たのだ。家に居場所を見つけることだった。私は家の中に居場所を見いだすことが出来なかったのだ。子供部屋と名付けられた部屋で生活することはほとんどなかった。それよりもリビングで宿題をしたり、畳の部屋で遊んでいた。子供部屋は私のランドセルや教科書を置くための場所で、バレンタインデーでもらったチョコレートを隠す場所でもあった。見られて誰にもらったのかと問い詰められるのが嫌だったのだ。寝る場所は何度も変えた。ソファ、畳部屋、リビング。家が広かったこともある。どこに腰を据えていいのかわからなかったのだ。だから寝る場所を整えることが重要だった。野営みたいなものかもしれない。どこにテントを張るか。どこを今日の寝床にするか。そういうものが定まっていなかったのだ。私にとってそこは落ち着かない場所であり、家だと感じられる場所ではなかったのかもしれない。もしかしたらあまりに私にとっては広すぎたのかもしれない。下手したら人の気配すら感じることが出来ないのだ。だからしょっちゅう親の仕事部屋に出入りしていたし、そこで絵を描いたり、パソコンをいじってイラストを買いたり、ゲームをしていた。どうも孤独だったのだ。寂しいと感じていたのだ。家の中に人はいるのだが、誰もいないに等しかった。友達を呼んだりすることもあったが、どうも侵入させてはならないテリトリーのような場所が家の中には存在していて、その境界を踏み越えさせないようにすることに私は必死だった。何かに縛られていた、そういう拘束があるように思えてしまうのだ。それが私を不自由にしていたとさえ感じ始めるのだからたまったものではない。いまはもうそんなことからは解放されているはずであるのだが、どうしてもあの家にあった孤独と拘束は私の中で育まれ続けている。居場所はどこにあるのか。私は居場所を求めていたし、それはどうしたって保たれることはなく消えて行く。環境に依存しても居場所は保たれない。ヒントは寝床であった。眠る場所を確保すること。それが自分自身の存在できるスペースになっていた。そこで何もかもを構築する。一畳半程度のスペースで自らの居場所、巣を作る試みである。それが今も永遠と続けられているのだ。

 

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いまは少し晴れ間も見える。

また雨なのかしら。