溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171101

会話

 「どんなにきつくてもとりあえずどこか体を動かすしかないんだよね。寝転がったまま足首を回してみるとか、肩回してみるとか、今考えてることはすべて勘違いなんだよ。もう無理だとか、死にたいとか、生きている価値がないとか、そんなことを毎度言い出すね。それでもきつくてもとにかく、生きようと小さなことを試みてみることさ。確かにきついよ。辛いし、もう体は動かないと思うかもしれないけれど、とにかく家の中を叫びながら歩き回ったらいい。歩く中で何かまた違う世界にいることを感じているはずなんだ。ほら、小学生の頃学校に行きたくなくて、熱を出そうと思った君は家にあった廊下を裸足と薄着で歩き回った。真冬だから寒かったはずだが、そうやって体温計を持ちながら何度も何度も挑戦していると本当に熱が出てきて驚いていた。結局、体温計の故障かなんだか分からなかったけど、しばらくしたらまた36度5分という平熱を示して、君はそこから体温計というものを信用しなくなったのさ。体温計で言えば、野球の練習をサボりたくて、前日調子が悪いと感じたから体温計に手を伸ばしたりもしたよね。そういう時っていつも限って、36度5分なんだ。君はその時も体温計のことは心底信用しないと誓っていた。窓を開けた。風通しを良くしてみようと考えたようだ。どうやら頭が痛いらしい。頭痛持ちでもないから、頭が痛いと少し驚いてしまうようだ。君の思考は寝ても覚めても動き続けているからね。まったく止まっていない。それに何よりも君は夢の中に居場所を見出だし始めては、起きるたびに絶望を繰り返してる。それと同じ要領で、動画を見たり、本を読んだりしては、また現実に戻り絶望している。君はその繰り返しに苛立ち、どこにぶつけていいかもわからず、ただ部屋を徘徊し始めたのが一つの結果みたいなもなのかもしれないよね。とにかくこの場所から逃げ出そうと考えた君は、荷物を取り出して外へ出ることにした。しかし準備をしている間にも、自分自身の容姿を気にし始め、人目に触れる場所など出たくないと抵抗を始めているようだった。それでも新しく買った靴下を履く時は少し気分を落ち着かせてくれたみたいだった。それに、君の妻さんが描いていた絵もなかなかよかったよね。君はその絵を見た時喜びというものを垣間見ていた。とにかくすごいものに触れた時、感動というものを忘れていなかったと君はまた生きる希望を見出だしていた。しかし、その感動というものが長く続かないことが、また君を突き落としてしまうのかもしれないよね。それは仕方ないことだ。とにかく状況がどうであれ、君が自ら口にした『どんなにきつくてもやるしかない』というその言葉を捕まえたその時、君はなんとか布団から起き上がって、窓を開けていた。それで徘徊。ただ何を求めるわけでもなくとにかく外へ出て、平然とした表情を装って、いつものカフェに行くことにしたのだ。君はここで書くという行為を始めているけれど、僕が思うにそうやってとにかく強行突破して行くしかないってことなのかもしれないね。また潰されたところでなんの問題もないってことなんだよ。そう、君がどれだけ打ち拉がれ、落ち込み、身動きが取れなかろうがなんだろうがそんなことは大きな問題ではないってことさ。とにかく作り続けるとはそういうことを言っていて、どんな状況であれ、機械のようにただ動き続けるしかないってことなのさ。どうして自分だけこんなに苦しい思いをし続けなくてはいけないのかなんて考えはいけない。なぜなら君は自らこの苦しみを選び取りそれを元に今もまた行動を喚起させているわけだから、ある意味なにかを生み出し続けるという意図のもとでいうなら理にかなっていると言えるのかもしれない。君はいつも言う。『どうせすべて自分の問題であり、すべて自分の感受性の問題であると。』そうやって君は自分の責任であると言いながらも、他人に責任を全面的に押し付けていることを私は知っている。自分自分と言いながら、君は自分自身のことを理解してくれない世の中が悪いとか、気にかけてくれない世の中が悪いとか、他人に何もかもをなすりつけているのだから、その方達からしたらたまったもんじゃないよね。君は助けて欲しいということが素直に言えないと嘆いてるが、助けてほしいと言えなくなったのももはや親のせいである、生育環境のせいであると、何もかもを他人になすりつけているのだ。その事実を君は巧みに隠蔽しようとするが、そうやって他人に向けたその攻撃的な姿勢こそが、何よりもすべて自分自身で受け止めることになることをわかっていながら。そう君は自ら行う全面戦争を、自らすべて受け止めようとしている。それが創作意欲なのだろうか。私には到底理解ができそうもない。父が恐怖の対象であったとか、今更何を言っているのか。親が許してくれなかったなどと、今更何を言っているのか。気づいているなら自らやらないでどうするのか。作り続けると言ったのは君自身だった。死ぬまで続けるしか道がないと言い出したのもまた君自身の言葉であった。どちらにせよ死ぬのであれば、死ぬまで作り続けようと語っていたのは君自身であったはずだ。それは途中だとしても終わりだとしてもどちらも含まれているのかもしれない。どちらにせよ終わりは終わりであり、それではなぜ生き延びようと試みるのかである。それが人生なのだと単純な答えが返ってくるのかもしれない。君はこの争いについて今回で終止符を打とうとしている。これは長い歴史の中で繰り返されてきたものであり、幾たびも起こるこの争いを終わらせることが君の短い人生で出来るのかははっきりいって分からないのであるが、それでも君が受け継いでる意志のようなものは間違いなく、死んでいったもの達の声であり、その声をもとにまた君が何かその意志を伝えるためのその創造活動が今もこの瞬間も続いているのである。君はその意志と共に歩むしかないのである。小馬鹿にする大人がなんだったのか。たとえそれが自分の親だったからそれがなんだというのだ。いつまでもしがみつくその姿勢こそ、継続という部分では見習うべきである。君は永久に運動を繰り返す。止めることはできないのである。とにかく、そこに意味など求める必要もない。ただこれは受け継いできたものを確かに君は引き継いでおり、君は生きているもの同士が群れ始めたその瞬間の嫌悪を抱かずにいられないのは、それははっきりと言えるものではないのかもしれないが、そこからまた争いが生まれるであろうという考えてのことなのかもしれない。君は何もかもの争いを自らの内面に納め、その争い自体を描き続けるのだ。」

 

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晴れてる。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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