創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171103

追いかけてくる時間

 時間が追いかけてくるという感覚自体、それは充実として捉えることもできるのかもしれない。しかし、静かで何にも追われないその時間があり、そのバランスは未だに納得いくものを見つけることが出来ていないのかもしれない。退屈すぎてもいけないことは分かっている。街を取り囲む色は灰色であり、空を見上げれば青や水色。しかし、その灰色が取り囲む空の色はどこか悲しげであり、その街の中に存在している、黒にまとわれた、シャツは白であるが、その身に纏う家がどこか消費され、何もかもを同一化する、同じであると示す指針のように見え、その姿が次第に集まり、3人、4人、5人、6人。彼らは友達だったのだろうか。集まっては笑っている。それでもどこかその灰色に囲まれた街に動き回るその小さな黒い点の集合は、それでも懸命に存在意義を示すようであり、彼自身がその行き場のない状態に、何か反応を示し涙腺が緩むのであった。状況は打って変わり、あたりは緑が見え始める。木々が少なからず生息している。それは自生しているとは言い難い状態ではあったが、それは人の視点でしかない。人の手によって植えられたものであるようだが、目に飛び込むその不自然な自然物にすら救いを求め始めるのである。なぜ救われると考えるのだろうか?これは記憶か?どんなに人工物で溢れるその灰色を目撃しようと、その生息を続ける植物に出会うことで、彼は救われていると感じているのである。勘違いしてはいけないのがそれでもコンクリートに取り囲まれており、コンクリートの上に土を敷き詰めたところでその実態は何ら変わらないということであった。

 

空間

 空間を構成している、人、音、味、温度、動き、揺れ、漂い。彼はただその光景を眺めていた。観察をしていた。服が表すものは何か。その化粧が表すものは何か。流行なのか、こだわりなのか。それはあなたのか、個人なのか。身にまとったその表面的なものからより人を観察する。彼はユニフォームが好きではない。背番号も好きではない。しかし欲していた。それはその環境内での自らを示すもっとも高貴な存在が番号であったし、それ自体が、入場券。フィールドに立つための権利なのであり、それすらも得られない場合、ただ外野から眺めるしかない。なぜ彼はそこまで個人に目を向けろ、群れるな、一緒になるな。そんなことを言い続けているのだろうか。彼は勝ち目がないと考えているのかもしれない。どこかに所属した瞬間に勝ち目などないのだ。何に勝とうとしているのだろうか。誰に勝つ必要もないが、その組織が生まれたその瞬間に争い、勝ち負けをめぐる意識は充満し始めるのであると、彼は真実であるのか妄想であるのかもわからないことを言い続けるのである。そういった反逆的な態度、知識はすべて焼却、排除されるべきなのかもしれなかった。なぜ誰かに話を聞いてもらおうとするのか、なぜ分かってもらいたいと願うのか、なぜ理解されたいと思うのか。口を閉ざすことで生まれる、その沈黙に着目せよ。その無言から感じ取れる、見ている世界を書き記すのである。語った瞬間にそれはこぼれ落ち、その自らの欲望、何もかもを支配したいというだけのその欲望を捨て去ることである。語らないことだ。口を閉ざすことだ。理解される必要などないと言う。しかし彼は心底自らの考えを理解してもらいたい、ただ聞いてもらいたいと願うのである。何も挟むことなく、ただ自分の思考を垂れ流したい。それが人間関係に支障を生むのであるからたまったものではない。その思考は刻みつけると言う手法によって様々な形態で残されていく。文字、言語、絵画、音楽、布。そういったものを作っているのである。すなわち空間の構成、創造。彼はいつの日も空間からの情報を多大に受け取るのであるが、次第に体がストップをかける。それが鬱なのである。体を強制的に止めようとするのである。そこに至るまで彼は触覚を多用に伸ばし続け、その空間、時間という概念すらも超えていき、その情報を吸収、受け取り続けている。これは彼が無意識で始めているものであり、そうやってその情報を元に、人間自体を探る。隠された真実を探り当てようとするのである。かといって何かを見つけようともしない。あくまでもその表面に現れるその漂いに着目している。何もかもを同一化してはいけないし、紛れ込んでいる人間を救い出したいとすら思っているのだから笑ってしまう。救助活動をしようとしている。救済活動。無償で行動。無依頼、無報酬。ただ行動するのみであった。なぜそんな救助活動が必要であるのだろうか。それは彼自身の存在を保持するための、あくまでも自分自身の救済活動であった。その何もかもを剥がし、破壊。アスファルトですらそうなのである。もっとも身近に存在する隠蔽行為がもうすぐそこにあるのに、それすらも忘却されていく。彼は木陰が必要だと何べんも言い続けるのである。すなわち土が必要であり、土壌がないこの状況で人はどうして育つことができるのだろうか。彼の土壌はどこに。確かにそれは駐車場、アスファルト、その壁に囲まれた世界。その牢獄とも言える環境下で彼が生き延びるために作り出したのは全く別の空間を自ら保持、創り出すと言う行為なのである。それは生きる技術だと言う。それこそが重要な役割を果たすと言う。殺されないためである。何よりも自分自身にである。これは生死をかけた運動と行ってもよかった。デモではない。社会運動でも、レジスタンスでもない。組織を組むことはしない。ただ一人で、ただ一人で彷徨い続ける、蒸発した人物の空気の入れ替えのようなものだった。風を起こしていたのだ。窓の隙間からでも入り込もうとしている。風はいつの日もその風穴を見逃さない。少しの隙間がある。それは人間にも言えるのである。どんなに頑丈さを身にまとった状態だったとしても、風穴は存在するのである。それが人間である所以であるし、彼は見逃さない。その小さな隙間を抜けていく。次第に水となり、体内に流れ込み、血流、その濁流すらも飲み込む大きな波と化し、そして浄化、蒸発。包まれているのだ。私たちは包まれているのである。何もかもに包まれているのである。それはいかにして生まれるのか。作り続ける運動からしか手繰り寄せることはできない。書く、描く、弾く、その細かい行動の集合それ自体を作り続ける。

 

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暖かい。

少し風がある。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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