創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171111

触れていたもの

 彼は確信の様なものを捉えていた。それが何かは分からなかったし、理由も明確ではなかった。というよりはもうすっかり忘れてしまっていたのだ。それにも関わらず、彼はその確信の様なものの存在のことを記憶していた。これは感触として体の中にあったものを捉えていたわけであり、実在しているわけではなかった。しかし、彼の中には実在、内包された確信の様なものであったのだ。彼の正面から太陽が差し込む。彼は正面から太陽を浴び続けていた。もう朝が来た。また来ていたのだ。朝は何度だってやってくる。これは約束の様なものだった。しかし、これはすべての人に平等に与えられた朝ではなかった。朝が来ない人もまた存在していたのである。朝を捜し求める人などいるのだろうか。なければなかったでまたそれでいいと思うのではないだろうか。彼は一喜一憂を繰り返していた。これは短時間に繰り返される波の押し引きの様なものであった。いつも彼は海岸のその波が押し寄せるそのギリギリのところに立っていた。そこに飛び込もうとはしない。その中間を見出そうとした、海と浜のその中間、間、そこに引かれる線について彼は観察を進めていた。時に座り込むこともあった。体育座りをして、ただ夜の海、月明かりだけを頼りにその線を見ていた。次第に彼は見ることを辞めていった。波の音に耳を傾けては、実際にその線に触れようと試みたのだ。確かにその潮の香りを感じる場所と、そしてその潮風の溜まっている場所がある。どこからが潮風で、どこからが風なのだろうか。これは質感についてである。ただどれくらいの量がそこに存在し、自分自身に必要な量もまたどれくらいなのかを知る必要があったのだ。

 

蜜柑

 みーさんが「この空間は蜜柑に支配されている」と言った。確かに僕たちはこの時期になるとみかんの侵入を快く許可し、受け入れている。そして大体が机の真ん中に堂々と居座り続けるのであるが、それに対して文句を言うでもなければ、もう自然に彼らの存在を受け入れ、何を言うでもなく手を伸ばし、爪を立てて器用に皮をむき、身を出して一粒一粒口に運ぶのである。次第には体内への侵入まで快く許可する。ここまで堂々と机の中心に居座り続ける蜜柑の存在についてああだこうだと意見が述べられることはなかった。これは暗黙の了解であったし、それに肯定することも否定することもなかった。ただ受け入れていると言うことだった。これがグレープフルーツだったらどうか。いちごだったらどうか。どうも置き続けることは出来なかった。蜜柑はそれよりももっと身近なものとして存在を確立しており、いつでも手の届く場所に配置されては、無意識のうちに私たちの体内へと無事ダイブするのだ。この蜜柑の功績を讃えることが重要である。ここまで自然に、かつ文句を言われるでもなく人々の中心になり続けているのは彼らそのものなのだ。彼らが登場するやいなや空間は彼らを中心に構成されると言ってよかった。このオレンジの球体が複数集まり身を寄せ合い、少なくなればまた継ぎ足されていく。この蜜柑の存在がこれからこの空間の中心になっていく。そしてあまりにも心を許しあっている蜜柑。この空間は蜜柑に支配されているのである。

 

時間の流れ

 彼は少し深い呼吸をしていた。そうすることで駆け巡る思考が和らいでいく様に感じたし、訳のわからぬ焦燥感から抜け出せる感覚を持っていた。彼は横たわり、しっかりと布団をかぶっていた。少し重たいくらいだったが、この重量感もまた必要な重さだった様だ。目を瞑った彼に見えていたのは目の裏にあるその漏れ出る光だった。彼はその光の存在を知っていた。ずっと前からこの光は彼の目の裏に存在していたのである。曇り空であるが、雲間から空を見つけることができた。風車が回っている一軒の小屋の前に彼はいた。回る風車を眺めていたのは彼自身ではなく、回る風車の小屋と彼自体を眺めている男がまた一人存在していたのである。彼はその存在に気づいてはいなかった。ただ男がいることを感じてはいた。感じ取ってはいたのだ。しかし拒否もしないし、拒絶もしなかった。ただ存在することになんの違和感も抱いていなかったのである。彼は歩き始めた。小屋とは反対方向だった。羊の群れが彼の前を通り過ぎていく。ゆっくりと、それはあまりにもゆっくりとした時間だった。羊に流れる時間が彼自身とはあまりに違うものの様に感じられた。彼は羊と同様のペースで歩む速度を落とした。信号待ちをしてる人々の横に立ち、そして信号が変わった時に一斉に流れ始める、あのペースには流されることはなかった。彼はもう羊だったのだ。ゆっくりと、歩むその速度を遅いと罵倒することができるのだろうか。彼は一歩一歩を踏みしめながら歩いた。横断歩道にあるその複数の白いラインを踏みしめるうにゆっくりとした動きで横断歩道を歩いていたのだ。彼の周りには羊の群れが出来ていたし、羊にとっては信号などない様なものだった。車のクラクションが鳴り響いていたが、もう時間の流れは羊たちが掌握していた。

 

マーキング

 彼は渡りきった交差点の先にいた。一度立ち止まり後ろを振り返ったが、また車が動き出していた。彼はまた歩き始めた。ただまっすぐに歩行者専用の道を歩き始めたのである。車道や歩道やそうやって道を分断することで、どうやら時間というものが奪われている様だった。彼はそのアスファルトの上に立ち、ただ右足、左足を交互に前へと進めていく。目的地は必要ですか?これは無目的な歩みである。散歩に近かった。塀に覆われた家が立ち並んでいた。自ら作り出した壁である。自らが立ち入らぬ様にと作り出した壁であった。彼はその壁に手を置き、その壁にあるシミや傷跡、その落書きの様な線について注目し始めていた。削れてしまっている箇所もあった。彼は写真に収めていく。その壁をレンズを通して切り取っていくのである。その痕跡についての研究が行われる。写真が見返されることはない。いまこの瞬間に、自らの指でシャッターを押し、その痕跡を押さえたということが重要であったのだ。決して見返すためのものではなかったし、ただその瞬間に彼はマーキングをしていたのだ。縄張りを作るためではない。ただこの痕跡に対しての敬意を伝えるためのマーキングだった。

 

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1並びの日。

よいよいー。 

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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20171028 - 溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

 

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