溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171113

演奏と絵

 彼は弾かれる弦の音に耳を傾けていたし、描かれるその紙の上に乗る線に注目していた。紙と鉛筆とが擦れる音、その心地悪い音に体が反応し、ただ悶え続けていたのだが、それは彼の内側へ、衝動を誘発し続けていたし、気付けば弾かれた弦の音をすっかり聞き忘れて、紙に向かう男の動きだけがそこに現れていた。気づいた時には弦の音は擦れ始めていたし、そのことに引きづられた時、紙に向かう男の姿を見失っていた。男は瞬間移動した様に、その場から消え、またその場に戻っていた。確かに存在していたはずだが、男は音の中に溶けていったのだ。弦の音と手と紙とが擦れ合う音とが空間を押し広げて行くのだが、男の動きは止まることがない。弦の音は静かに男の体に寄り添っていた。彼はその姿、形、状態、音、空間、緊迫感、絵、鉛筆の芯、砕けるクレヨン、色、汗、ビニールに重なる線、その隣にある絵、観客の鼓動、吐息、睡眠、呼吸のリズムなど様々な情報を同時に受け取り続けていたが、これはもう男たちと彼との勝負であった。喧嘩の様だったがそうではない。ただ戦いである。誰もが引かないのである。そして出過ぎないのである。ただお互いが寄り添い合うのは気遣いでもあったが、かと言って遠慮ではない。その絶妙な関係性、バランスを観察するが、意識は次第に遠のいて行く。彼は集中しようとしているが、その間は集中をしていない。まったく何もなくなったその瞬間にこそ集中しているのであり、そこで現れる、言葉を拾い集めていた。収集に次ぐ収集が数十分続いたが、その場は静かに幕を閉じていた。紙に付着した生命線を確認していた。ただその押し付けられた、鉛筆、クレヨンの行き先について問いかける。あの動きは一体どこからやってきていたのか。あの砕けたクレヨンは、散って言った鉛筆の芯たちの行方は。その瞬間に散っていった者がいる。しかしそれもまたしっかりと線に刻みつけれているのだから、それは死んでいるわけでない、そもそも死んでいるとは何を指しているのだろうか。体は土に帰り、骨となり、それすらも粒子に、細かく見えなくなり、そして飛んで、散って、また口から侵入。食物に侵入。何もかもに生命は移ろいで行くとしたら死はどこにあるのだろうか。作り上げられているのは死だったのではないか?紙に塗られたその動きと、落ちて言ったその細かい粒子に違いはあるのだろうか?水道から流されて言ったあの、鉛筆たちのあの細やかな粒子たちはどこかに流れ着いてはまた生き始めているのだ。

 

内面の巣

 彼はすっかり行き場を失っていた。どこへ迎ばいいのかはわかっていたが、どうやって進むかが全く不明確であったのだ。しかし行き着く先はまた作り続けると言うことであるのだが、帰る場所こそが重要であり、何度でも作り続けることなのである。鳥の巣が道端に転がっていた。まったく形が崩れることなく、ただ木の枝から落ちてきたのだ。その枝やゴミなどを器用に転用した巣、家の脆そうでいて強靭なその力強さに感銘を受け、この巣こそが一人一人の内面にある帰る場所、家、巣であると幾度も確認することなになる。それは手を動かすこと、体から発せられる内面的な空間であるが、それが溢れ出し、外へ、部屋へ、窓を抜けてまたさらに外へと広がり続けるのである。これは波だった。どこまでも押し寄せる。そして届く人に届いた時、波は静かに引いて行くだの。その波を何度生み出すことができるかだった。何度でも生み出そうとする試みこそがその内面の建築であったし、それはどこまでも広がる波だったのだ。

 

大きな組織

 彼は大きな組織の会社員であった。どこまでも広がる組織であった。それは人間と言えるし、大地、地球とも言えるし、惑星とも言える。そして宇宙全体とも言えるのだった。その組織の中で、ただ日々を生産することをノルマとし、文字を生産、絵の生産、音楽の生産、布の生産など、生産範囲は多岐にわたるのである。個人などあってない様なものなのだ。結局その組織の中で動くのである。労働を続けるのである。しかし、その労働こそが喜びとなり、興奮、感動を日々生み出すことは主体的であった。時にその全体を見渡す立場になることもあるが、役職や肩書きは存在していない。ただその時に必要な動き、仕事を直感的に各々が行うのであり、まったく何も仕事内容は決められていないのだ。自らが生産のノルマと化し、ただ体を動かし続けているだけなのである。しかしそれは評価されるためでもなく、理解されようと努めるでもなく、ただ全体の中で行われる運動だった。

 

空間、関係性

 私たちは宇宙の一部であると言われるが、その一部ですらない。宇宙が最大なのではなく、ただ横並びであり対等なのであり、優劣をつけ始めるのはいつも人間の仕事であったのだ。大いなるものの一部であるが、一部ではない。ただ横並びに存在し続ける、対等な関係であった。そうやって育む関係性を望んでいるのである。ここに論理的な見解を挟むことはできないし、まったく矛盾していることであるかもしれなかったが、それでもその関係性の構築、関係性の見直し、新たな関係性の設計が私たち宇宙空間設計事務所の仕事なのである。家はもう作る必要がなさそうなので、そうやって空間について、関係性について、人と人、物と物、そういった間にある空気感やそこにある不一致的な関係をより良いものにして行くために派遣された派遣社員なのです。雇われてはいません。ただ結局組織の一員であるといいながらまるで自分の意思で動き続けているのです。自分の意思と言いながらまったく自分ではない誰かの意思で動かされている様な気がしてならないです。私たちはそうやって自らの仕事を能動的に生み出し、それに従事しているのです。どこに属すかなのです。この所属というのはどこまでも追ってきますから、逃れようとするのもバカバカしいのですが、それでも私たちはその所属という概念から逃れようとします。しかし所属していると言いながらまったく何もないというその状態も確かに存在していますので、またその曖昧な、矛盾した状態の中で呼吸し、仕事を遂行するまでなのです。まったくおかしな話だと笑われてしまいそうですが、我々はもし国があなたたちを見捨てようとするならば、手を差し伸べるために生まれた組織の様なものなのです。一味と言っていい。家族の様なものです。組織は今もまた存在し、また消えていくのです。

 

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部屋が少し冷えてきた。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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