創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171118

空間

 彼は空間というものに興味を持ち始めていて、それは部屋の中のインテリアとかそういう事ではないようだった。それは結果的にそう配置されているだけであり、人の内面に立ち上がる空間である。自らを大学という人もいれば、保健室という人がいる。そのような空間を作っている、建築しているということになる。彼はその空間が生み出されているそのこと自体に興味があるし、それはその人間自体なのか、それとも単にその創造物に興味があるのか。どちらにせよそのインスタレーション的な生命体、そう捉えている人がいること自体が研究の対象であるのだ。彼自身もこの書くという行為自体が1畳のスペースで成り立っていることについて何かどこまでも広い世界のような、その空間を感じているからである。自らをどんな空間であると言い表すことはできないのだが、確かにその空間を内面に作り出すというその行為自体には、その運動と思考の動きに着目しているし、その研究でもある。この間にも彼はまたこれまでと全く違った世界に入り込んでいるし、何かの代弁であるのか、それともただ文字の羅列を書き連ねているのかは見当はついていない。しかし確かに広がっているのだ。喫茶店のようなものかもしれなかった。一時的に立ち寄っては数時間するとお会計をして帰って行く。あの喫茶店のような、一時立ち寄り所のような空間を彼は作り出そうと考えている。どうせならその喫茶店での時間を充実したものにするために、彼は書物を用意したり、絵画、自ら生み出した作品を展示したりする。時には自らがギターを持って歌うことがあっても良いと考えている。彼にとってはその何もかもを生み出せる空間のようなものが必要であるのだ。それはアトリエとも違った空間だった。アトリエも必要であるが、もう少し喉を潤せるような、体を休ませることができるような空間を生み出したいと考えていた。彼はまるで自分を喫茶店兼アトリエのよな存在として捉えており、これもまた空想ではあるのだが、そうやってまた空想を膨らませることで自らのスペースを確保しているようでもあるのだ。彼はそのことについて何度かちゃんと書こうとした。しかし、文字がうまく流れてこなかった。だから今こうして、流し込むように文字をドローイングしているのである。それは順序良く流れ出ているように感じるが、そうではなく1枚の紙に赴くままにその規則性から逸脱するべく線を引いている。彼は線であることを自覚し始めていた。そこに帰ってくるのである。線のみで示すということが崇高な行為であるようにも思われた。彼はそこに色彩を交えることでどこか自由さを取り入れようとしている。彼にとっての色は混じり合ったその先にある、奥行き自体が彼を興奮させる色であったし、その色についても研究が進められている。彼は喫茶店兼アトリエを自らの空間として捉え始め、それが行動の指針というか、それを元に空間を構成し始めるのである。これまで彼が家と言ってきたその空間がもう少し具体的に描かれた瞬間であったのかもしれなかった。しかしそれは帰れる家とまた変わりない巣のようなものである。空間すらも乱立しているのだ。無数に点在している。自らがどの空間を建築し続けるかであり、その建築している時間こそが重要なのである。その手作りの、手から生まれる空間建築にこそ彼は興味を持っていたのである。書斎でもあった。彼のアトリエは書斎でもあったり、喫茶店もまた書斎になっていた。様々な機能を果たすのである。これは彼の思考の中だけにとどまらず、何もかもが実在しているような感覚を覚えた。彼は、絵を使い、文字を使い、ギターを使いそれらの空間を立ち上げることを試みる。それは居場所なのである。自らが存在するための居場所のようなものである。その自分自身の巣をあえて表出させることによって何が生まれるのだろうか。それは癒しであるのかもしれないし、休息であるのかもしれない。刺激であるのかもしれないし、嫉妬であるのかもしれなかった。彼はその部屋、空間自体と共に歩いているのであり、どこにいたとしてもその空間を生み出すことができるのである。それは自らの振る舞いによって感じられるようにしたいと考えている。前に立ち、自らがその生み出すという行動を続けることしかできないと考えているのかもしれなかった。だから多分、ただ作品を展示するだけではいけないし、空間全体を使って彼はその居場所を作り出そうとしている。その生産拠点自体が彼なのである。彼はそう言いながら生み出し続けることしかできないとそう考えている。彼は工場でもあったのだ。家庭内手生産による大量生産を常に行うしかないと考えている。彼は家であり、喫茶店であり、アトリエであり、工場である。それは劇場のようなものなのかもしれなかった。セットが次から次へと変えられて行く。そしてそこで演じているのは彼自身でもある。彼は脚本家になっていた。自らを演者にし、その舞台を構成する。彼はそこで立ち振る舞いについて学び続けているのである。その舞台に時折ゲストが登場する。それは彼が心を許してる証拠でもあったし、その時間でまた新たな空間、言語、トークライブを開催する。それはインプロビゼーション的に催され、彼の中で静かに、定期的に行われるのである。結局彼は自らの居場所を探し求めているのである。しかし、それは現実にもしかしたら存在していないものであり、自らが作り続ける創造物であるのかもしれなかった。見つかることはないのである。自らが作り上げる行為を怠ってはいけないのである。その場所があったとして、そこで自らがその創造に手をかけるのかは自分次第なのである。これは実験的な試みだった。全く存在しているのかもわからないその空間を彼は作り続けようとしているのである。それは確かに彼が感じつつけてきている事柄であるし、それがもっとうまく表現する術を身に付けたいと考えている。それは内面世界なのかもしれなかった。「見えないものを見えるようにすることである」と、パウルクレーは言った。彼がこれまでしてきたこともまさにそれであり、その答えのない世界を未だに構築し続けようとしているのである。

 

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調子が悪く1日寝ていた。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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