創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171119

太陽に触れる

 太陽に触れる。それだけのことが少し彼の気持ちを楽にさせ、前向きにさせていた。そこに自ら向かって行ったというよりは、連れられてなんとか動いて行ったという感じであった。うまく行動することが出来なくなっていく。どうしても後ろめたい気持ちだとか、ひとつひとつの行動が重荷に感じてしまうのだが、彼にはその状況から連れ出そうとする子供がいた。子供はあまりこちらの体調だとか状態を気にすることはなく、ただ「太陽に当たろう、こっちにいこう」といった感じで彼の状態を分かっていながらなのか、その体が少しでも前向きになるような方向へと向かわせる。もちろんその間も動くこと自体が辛い状態ではあるので、断ろうとするのだが、それでも腕を掴まれてその場まで歩いて行く。たかが数メートルだが世界が大きく変わったように感じられる。この数メートルが果てしなく遠いどこかへ向かって行く途中に感じられるのだ。自分の足で歩くこともできないこの距離を子供に腕を掴まれながら歩いている彼は大人であろうと振る舞うのだが、そううまく振る舞うことができるはずもなく、ただ無言で窓辺から漏れ出る太陽に向かって歩いて行くのだ。その太陽の光に当たるまでに彼の陰鬱とした世界は少しずつ様子を変えていた。どこか違う国に、彼が始めてマレーシアに一人で降り立った時、乗り継いでカンボジアの空港に降り立った時のあの慣れ親しんだ感覚とは、違う空気のようなものを感じていた。彼は布団の上から歩いてその窓辺の太陽に向かって歩く数メートルでその変化を確かに知覚していたのだ。干された布団を叩くとほこりが舞い上がった。それを知らせるのは太陽の光であったし、太陽の光が当たっているその部分は暖かいという感覚を思い出させてくれたのだ。風はもうすっかり冷たくなっていた。冬はもうすぐそこにいて、秋は冬に追いやられるようにして、何かしっかりとした境目を捉えるとするなら、やはりその風から運ばれる香りとか、空気が澄んでいる感覚とか、そういうもので季節を判断していくのだろうか。これは五感を総動員することでなんとか判断しようとする試みであったし、そんなことする必要があるのかと言われれば彼は答えに困り始めるのである。しかし彼が思うにその変化に気づくことこそが重要であり、その今の季節を感じることが出来るその状態に何か期待をしているようなのだ。

 

空間

 彼は喫茶店あるいは、カフェのような空間を作ろうとしている。そこに併設されているアトリエから生まれたものはすぐに展示される仕組みになっている。できたものはすぐに作品として店内に飾られては来る人たちを楽しませるのである。そう言いつつ彼は人とはあまり出会わない生活を好んでいるようであった。特定の人との付き合いを大事にすることを考えている。あまり多くなりすぎるとそれは混乱をまねくひとつの原因となってしまうし、だからこそ出会う人に自分自身の思考についてを余すことなく語りかけるのである。そうでなくては、中途半端な関係になりかねないし、日々の作られたものを見てから、それに触れてから出会うことが筋であると彼は感じているのだが、それもなくただ会いたい、会いたい、と言われたところで彼は余計にげんなりとした気分を持つことになるのだ。そのことをどうこうするつもりもなく、とにかく彼は今また潜り続けようと考え、その行き場について模索していた。作られたものたちの行き場である。そのことをあえて書き始めることに、そんなことしないで欲しいというのだが、今はただ流れて来るままに書いているだけであるし、何か正確なことを書き記そうなどとは考えていない。とにかく私たちは量を知らなすぎるのである。毎日使う水が、電気が、ガスがどの程度の量であるのかをまったく把握できていないのである。そのことを書いていて、例えばそれを数字で表されたとしても彼にはそのイメージが湧いて来ることもなく口を噤んでしまうのである。勉強しろ勉強しろと言われるが、彼はそういうことにめっぽう弱いのかもしれなかった。数字について嫌悪感を持ち始めたのはいつからだったのだろうか。数学という分野がとにかく苦手であり、距離を保とうと努めた。どんなに理解しようとしても離れて行ってしまう。彼にとって学校で行われていた授業というのは大体がそういった関係であった。どんどんと距離が生まれてしまうのである。ついて行くことができなかったのだ。そのスピードに。語学もまたそうであった。理屈が理解できないのである。理解しようとすればするほどどんどん遠のいていく。まったく近づくことのできないものになっていたのだ。そのぶん音楽とか体育とかは違ったし、彼を楽しませてくれるものであったが、美術や技術といった授業を彼はまた遠ざける対象にして行ったのだ。しかし、彼はその授業とは別の時間には絵を描くことを好んでいたし、作ることを好んでいた。それは自らの空間、そして時間においてであったし、なぜかその評価とかの対象になるに連れてそれは窮屈なものになり、距離は離れて行く。どうしてこんなにも遠ざけてしまうのかといえば、彼は自ら他人と比較していたし、それにしては目標を高く置くのである。こんな物ではいけない、こんな物ではいけないと、徹底して自己否定を繰り返すのである。それはもうすでに学生時代からそうであったし、彼の周りには才能が溢れている人間が無数に存在しているように見えていたのである。だから自分自身はそんなものがないと決め込んでいたし、果たして何が自分自身にはあるのかが疑問で仕方なかったのである。結局のところやりたいことがないとか、何がしたいかわからないなんて、自分自身の大切なものから逃げているのだと安易に言ってしまうことはできるが、それは本人にとって本当に大切なものであったし、その大切な空間だけは誰の手にも渡したくない、誰の評価にも晒されたくないと願っていたのかもしれなかった。それでも次第にそういったものは公共的であるべきであり、多くの人の目に触れることによりまた次から次へと生み出されて行くことも知っていた。しかしそのことを恐れていた。それでも構わないと思った。これは誰のことを書いているのか。ただ書いていた。聞こえて来るのはピアノの音色だった。ただそのことを思い出していたのだ。

 

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風が冷たい。

海方面に散歩に行こうかな。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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