創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171120

学校

 彼は未だに学校自体を卒業できずにいた。まだ教室に座っているし、授業を受けている。それ自体に退屈しているというよりは、ついていけないと言った方がよいのかもしれなかった。各教科ごとの先生が前に立ち話しているその言葉が、まったく理解できなくなっていた。そのことに焦り始めていたし、襲ってくるのはいつも睡魔だった。実際にもう学校を卒業することが優先ではなかったし、それを絶対と言っているのはただ学歴を優先している社会に過ぎなかった。それよりも自ら生きてく術をここで身につけることができたのだろうかという疑問がいつの日も浮かんでくるのだ。何も無いその状況に投げ出された時、果たして生き残るための知恵、経験は身についていたのだろうか。そのための工夫やアイディアを巡らせることは出来ていたのだろうか。そう考えながら彼は教室で座っていた。周りには人がいないように感じられていたのはすっかり自分だけの世界に入り込んでいたからだ。それは大層な世界ではなく、ただ悩み事のような世界に過ぎず、思考が駆け巡り、周りのこと以前に自分のことしか目に入らなくなっているだけなのかもしれなかった。それでも授業は続く。なんの授業なのだろうか。それすらももう分からなくなっていたが、聞く努力をしようとすればするほど余計に深みにはまっていくのである。その後彼が見出したのはいかに自由に発想を持ってるか、自由に振る舞えるかという部分への興味であり、それは堅苦しい、学校、クラスといった場所から抜け出すことができないといった幻想から来ている。実際に抜け出すことはできるはずだったが、彼は我慢強かった。我慢すること、あと何日間我慢すれば良いか、あと何時間我慢すればいいか。そうやって学校内での生活を送って来たのだ。服装や髪型に自由などなく、乱れたその瞬間に罰が下されるのであるが、それがもう普通であり、その規則に従うしか無いものだと考えることしかできないほど思考は停止していたのだ。それでも保健室であるとか、そういった場所は彼の居場所になっていたし、その規則だらけの学校内にありながら、存在を認める、許される場所であったのかもしれなかった。しかしながら実際にまだ彼は学校に通っている状態がつづいているのだ。未だにその現実の中においては卒業することもできず、そこに至ることもできず、その状態をさまよっているようで、そこから抜け出すための知恵を蓄えようとしているのかもしれなかった。かといってその時間が彼を束縛しているかといえばそうではなく、ただその記憶が乱立しているに過ぎず、まったくそれがここにある現実さんとの関係性がないかと言われれば否定はできないのである。しかし彼はその仮想的な現実で見ているその学校の世界を現実さんの中に持ち込みそうになっており、それこそが彼の混乱の原因であるのだ。その卒業することが出来ないという、絶対に学校を卒業しなくてはならないという強い強迫観念が今もまだ彼の中に現実として存在しているのであり、これも一つ彼が作り上げている学校。それは強迫観念で作り上げた空間だった。だからこそ彼はより自由に自分自身を表現する、個人の思考や感性を活かすことが自分の人生にとって何よりも重要であると悟っているわけであり、それは脅迫的な環境で過ごしたその3年間の集積が彼をそちらに突き動かしているのである。

 

規則

 ここで重要なのは環境が問題なのではなく、自分自身の存在をそこでどう活かすことができるかが重要なのだった。彼の周りにはその規則の中でも自由に自分を表現できる友人がいたし、ないよりもその規則の抜け道を探し出し、その中で工夫しながら自分を押し殺さないように過ごしているように見えた。縛られているはずだが、縛られていないその状況に彼は興味を持っていたし、その状況に憧れすら抱いていた。しかしながら、彼はその殻を打ち破ることができず、果たして自分自身は何者であるのかとか、何をすべきなのかとか、そういう途方も無いことを考えては自己嫌悪に陥るのであり、もっと自由に軽く、物事を進められたらと考えるのだが、それすらもまた考え始めているわけであり、彼は思考をうまく止める術を持ち合わせていなかった。そのために書くという行為があるのだとも思え、その止まらない思考をただ画面に流していく、その指の、手の運動こそが、その状態が重要であると感じられているのであり、ただこれを継続することしかできないのである。どこまでやればとか、どこに行けばとかそんなことはあまり関係のないことだった。どこまでもやればいいし、どこまでも行けば良いのである。それが畳1畳分のスペースから生み出すことができること、こうやって身近な場所で体を動かさずとも旅に出る術が、人間にとって重要であるように思えているのであり、その行為こそ自分自身の居場所、すなわち空間を作り出し、生き延びる術であると考えているのだ。

 

大阪

 気づけばまた大阪にいた。彼はよく電車に乗っていると大阪に到着してしまうのである。普通電車に乗っていたはずだが、彼にとっての大阪は熊本や広島のように路面電車が走っており、気づいた時にはその見慣れた路面電車に乗っていて慌てておりた時その駅を大阪だと瞬時に判断しているのである。確かに彼は大阪を見慣れているわけではないのだが、その路面電車のある光景を大阪と認識し、そこからまた東京へと戻ろうとするのだ。時間は20時だが、普通電車に乗ればまだ東京に戻れると彼は認識しており、慌てて折り返しの電車に乗り込むのである。しばらくすると地下鉄に入り、おそらく東京メトロの電車に移り変わっていく。時間で言うと2時間ほどであるのだが、もう終電近い時間であると考えている。つまり24時ごろになっているということだった。しかし彼の実家に向かう電車は、彼の実家のすぐ近くに停車するようになっていた。その駅は彼の実家の最寄駅ではなく、その次の駅なのだが、その駅から歩く方がその時間帯はすぐに家に帰ることができるのだ。彼はこうやってもう数回大阪東京間を行き来しては、また寝過ごしてしまったと自己嫌悪に陥るのだが、この空間の行き来を幾度も繰り返して、それがまさに現実でもあるかのように勘違いし始めるのである。しかし彼にとってはそれが現実に見えており、果たしてどちらが現実であるのかをはっきりと切り分けることが出来ず、また困惑しているのだった。

 

 

f:id:mizokoji:20171120122515j:plain

見ているものをはっきりとさせてあげる。

それを否定しない。

空間として居場所を作ってあげること。

 

現実より、より現実的に。

 

--------------------------------------------------------

溝井孝司(Koji Mizoi)

連絡先:mizokoji@gmail.com

Twitterhttps://twitter.com/kojimizoi

Instagramhttps://www.instagram.com/kojimizoi/

--------------------------------------------------------