創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171124

学校生活

 僕が教育を受けた小中高の12年間、そして大学に行った半年間というのは僕を形成する上でその体験というのは色濃く刻まれていると感じられる。むしろそれ以前の幼稚園であるとか、幼少期のそれも含めれば18年半ということになるのかもしれないが、その体験自体が最近になってより色濃く鮮明に思い出される。夢の中において、それは仮想現実として、もうひとつの現実の中で現れる。僕は大学に進学したが、もう学校というその空間の中で教育を受けること、そこに居座ることに自信が持てなくなっていた。そう感じてしまっていたのは、きっと高校で過ごした3年間が影響しているのだろうと思える。僕は高校での3年間の間で人間関係や自分自身のやっていこうと思っていたことに大きく挫折していたのかもしれない。むしろそれはもう家から出たその瞬間から始まっていたし、何度も何度も挫折しては起き上がるということを繰り返していた。僕はその学校という空間の中で多くの他人との関わりに大きな不安を抱き、また課せられる課題やテストと言ったノルマのようなものをこなすことが困難であるようにも感じられた。ついて行くことに、篩い落とされないように必死だったのだ。小学校4年生で野球を始めそれは高校卒業まで続けることになるのだが、それによって自分を取り戻した反面、野球を通した人間関係に苦しめられることになる。小中に関してはクラブチームでの活動だったので、通っていた小中学校の人間関係に支障が出ることはそれほどなかったが、高校になると学校生活と、野球の人間関係が本格的に入り混じり、そこでの上下関係であるとか、同級生の中でもレギュラー争いやベンチに入るためのいがみ合い、誰の評価がどうだとか、そういうものにいよいよ嫌気がさして、精神的に本格的に参り始めていた。しかしそれが高校から始まったのかといえばそうではなく、僕は学校という集団の中で生活するために、とことん人の顔を気にして生きていたのはもう小学生の頃からだった。そういった記憶が、何か苦しみとして生み出される瞬間があり何か歳を重ねるごとに鮮明になっていくのである。それが特に夢の中で仮想現実的に現れるのである。夢の記憶というのは幼少期の時からあり、それが何か空想的というよりは何か現実とはまた別の仮想現実的な空間があるように思えてならないのである。僕は、その仮想現実の中で様々な体験を繰り返しているが、そうやってなにかこれまで逃げ出したその困難に立ち向かおうとしているようにも思えた。小中高での人間関係で、そこで作られたヒエラルキーを崩すためにというよりは、自分の意思を明確に伝え、その自分自身がどのヒエラルキーにも属さずに、個人で強くあることを何度も体験する。言えなかった言葉を改めて何度でも伝え続けている。それをもう何度繰り返されても終わることはない。それほどまでに僕が送ってきた学校教育というのは色濃く残っていて、その中にあった何か陰湿な人間関係というものを僕は感じ取っていて、その中で馴染むためのコミュニケーションに尽力するよりも、自分自身の好きなことを用いて、それが例えば芸術だとするなら、その作品を使って人と交わり、交易する術を学ぶ方が有益だったと今となっては感じている。むしろ、それを使って経済を生み出す力。それさえあれば、学校なんて行く必要もなかったのかもしれない。集団生活に上手に馴染むための学校ではなく、一人でも生きていけるその術を伝えてくれる存在が必要だったのかもしれないとそう思えている。当時の僕が欲しかったのはその何もかもから逃げ出す勇気と、自分自身で作り上げ、それを用いて人と関わりを持とうとする、そして経済を作ろうとする工夫だったのかもしれなかった。

 

瞑想

 昨夜、キャンドルに火を灯してみた。電気を消して、キャンドルを3つ机の上に並べる。自然と静かな時間が流れて瞑想状態に入る。思考が止まったと思えば流れ、思考が止まったと思えば流れ。その繰り返しだったが、この静かな空間と時間が必要であると感じられたのだ。情報は最小限で良かった。情報を自ら取りに行ってしまう。その情報がなくても生きて行く上では何も困ることはないのである。もしかしたら、その情報もまた精神的な波を作る要因になり得るのではないかとすら感じられる。むしろ彼はそう感じていた。動画を見るならば本を読む方がより立体的に思考の中で空間を立ち上げることができるし、そこに音楽が必要なら自ら歌い出せばよかったのであり、何か流行であるとか、新しい何かを見つけようとするよりは、今あるもので生み出し続けることが何よりも平穏を生み出していた。しかし彼はそのどちらも不要であると言い切ることはできないし、そのいつまでとっても取ることのできないバランスを、今日こそは取れるのではないかと期待しながら、実践し続けることしかできないのである。まったくの何もかもを遮断する気もなかったし、どちらも自分の生きている世界ではあるのだから、全く消すことはできなかったのである。ただどちらも存在させ続ける。その調整役としての存在を彼は担おうとしているのである。その調整は瞬間に瞬間によって変わってくるし、いつも同じ設定にしておけば良いというものでもない。その時々に合わせた調整が必要になるのである。どちらからに偏り過ぎては不快に感じられるし、退屈に感じられてしまう。そういう躁鬱的な波を利用し、そのバランスの最適な場所を日々模索し続けるしかないのであり、この波がない人はおらず、これを消し去ろうとする社会というものはまた恐怖であるようにも感じられる。これを活かしながら生き延びる方法というのが各々に存在しており、それを発見し探求して行くことがなによりも重要であると思えるのだ。その各々の生存戦略こそが、芸術であり、それは目新しいものでなくて良い。ただ日々訪れる日常をどう生き延びるか、その工夫とアイディアなのであると思えるのだ。しかし、ここでもその派手さとか奇抜さをも自分を現す上では必要であると考えている彼もまたその混同した状態であり、どちらが正しいとか、間違っているとか言い表すことができない。これは意思がないのではなく、彼自身の内面が混沌としている状態なのであり、今言い切ったことが次の瞬間正しいと言い切ることができないと悟っているからであるのだ。

 

f:id:mizokoji:20171124114831j:plain

最近また夢の中に記憶が色濃く鮮明に現れる。

消し去ろうとする気もなく、ただ存在させながらそれを用いて作り続ければいい。

 

創造活動が終わることはないのである。

永遠に続くのだから。

 

昨夜の瞑想は心地よかった。

--------------------------------------------------------

溝井孝司(Koji Mizoi)

連絡先:mizokoji@gmail.com

Twitterhttps://twitter.com/kojimizoi

Instagramhttps://www.instagram.com/kojimizoi/

--------------------------------------------------------

 

広告を非表示にする