溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171128

工事音

 外で工事をしているのか機械音が鳴り響いている。一度止まったと思うと再び地響きのように鳴り響く。男は体を揺らしていた。寒さから逃れようとした、一種の試みようのなものであった。男の指先、足先はすっかり冷え切っており、食べたばかりのお腹は温かみを感じていたが、やはり体の先端にいくにつれて体の冷えを感じている。男は一度外出をしていたのだが、気分が優れずにいた。散歩のつもりがそんな優雅な気分にはなれず、イライラした感情や、疲労感、倦怠感に苛まれていた。気分転換のはずが、逆に気分を害してしまっているようだった。それは人混みでもあったし、相変わらずそんな外部からの影響に不平不満を垂れているのだからたまったものではない。工事音は次第に音量を上げ、すぐ耳元まで大きな音が迫ってきている。それでもやめようとはしない。男はただその音を聞きながらも体を揺らしている。工事音が一瞬鳴り止んだ隙に聞こえてくるのはヘリコプターの音である。この街では日常的にヘリコプターが飛び回っている、その音もまた大きな音を響かせているのだが、なぜかそれすらも日常に溶け込んでしまっているような状況なのである。まるで戦時中のように感じられるが、そうではないようなのだ。しかし男はいま戦時中の真っ只中にいて、その光景をただ事ではないといった形相で眺めている。人一人の力では太刀打ちできないと嘆き始めているのだ。ヘリコプターが通り過ぎ行くと、あたりは一瞬静けさを取り戻す。トンビやカラスの鳴き声が響く。まるで世界が転換したかのようにである。そうではないと言わんばかりに車はエンジン音を響かせながらまた通り過ぎて行くのである。世界が多数、転々とし、また点在していた。あらゆる場所が今この瞬間にも点在しており、まるで一つと捉えていたその現実はあまりに脆く揺れ動き、そしてその強風になぎ倒されたかと思えばただちに新たな現実を捉え始める。これは現実といよりは、その無意識の状態が反映されている状況であり、いわゆる現実とはまた違った世界について彼は書き連ねている。男の様子を追っていたかと思えば、自身の内面へとその記載、メモ、日記は移行して行く。そうかと思えばまた工事音が響き始め、男の存在がまた再浮上してくるのである。「もう静かにしてくれ。俺を静かな場所にいさせてくれ。大きな音を出さないでくれ。穏やかな日常を送りたい。邪魔しないでくれ。」嘆きにも近い男の精神状態を同情するものはいない。彼はただ話を聞いているだけで、共感するそぶりはなかった。頷くこともなく、ただその旨を記載し続ける。このメモが読み返されることは果たしてあるのだろうか。読み返されたところでこのメモが指し示すことを読み解くことはできないであろう。それよりも男の癇癪がまた始まってしまったことに、彼は失望していたし、我々もまたそのことを否定することもなく傍観し続けている。

 

少年

 大きな石を持った少年が道路に石を投げ込み続けている。誰も止めようとしなかった。危険だとは思った。止めようとも思ったが、何か自分自身に危険が降りかかることを恐れていたのだ。そうであれば、おかしな関係を持つことはないし、そもそもこんなに道路と隣接した場所を歩くことがストレスや疲労を生み出していることを誰も知る由もない。少年はその通り過ぎて行く、そして信号通りに動き始めるその機械の流れに一石を投じていたのであり、彼の取った行動について批判できるものは本来誰もいないのである。危険であるとか、車を傷つけてはならないとかそんなことを述べようとしてもそれはあくまでもご都合的な考え方であり、少年は石を投げ込む場所も存在しないことを嘆いているのである。その力を誇示することで車などと対等の関係を築き上げようという試みであり、これは彼にとっての生命活動であったのだ。そのことを止める権利が果たして私たちにあるのだろうか?その創造性、社会に対する反乱、意思表示、そういったことをストレートに、なんのためらいもなく現し続ける少年の運動を止めることなどできるのだろうか?いまも少年が地面に投げつけるその石、もはや岩の音が鳴り響いている。それは機械音とは違かったのだ。大地と大地がぶつかりあう、その鈍い音こそ頭蓋骨を伝って、あの崖から見下ろした街の風景と一致しているのである。

 

新しい街

 あの丘の上から見た街はもう異世界だった。ネオシティである。これは新しい街でありながら、もう後戻りすることのできない街の風景であった。ネオン街がひしめき合い、屋台が多く立ち並んでいる。警察のような格好をした男たちが今日も巡回に当たる。この巡回とは反乱に対する抑止力であり、その分子を発見するために日々練り歩くのだが、それは眼鏡をかけていれば知識人と断定され逮捕、本を持つことも禁止されていた。ハサミやカッター、包丁、家庭で使うような日用品もすべて没収される。危険であると、人々を傷つける危険な道具を家庭で持とうとするからいけないのであると、国は制定する。必要なものはどうするのか?屋台で買うのである。料理をすることも禁止されている。免許が必要なのである。料理自体も国が管理し、勝手に食物を栽培することも禁止されている。理由は暴動が起こる可能性が多少でもある場合は排除の対象になるからである。そして危険分子とみなされた人間もまた排除の対象として管理。私たちにはチップが埋め込まれ、どこで何をしているのか、何を考えているのかまで、事細かに監視されているのだ。少しでもおかしな考えを犯したものは警察に連れて行かれる。帰ってくるものは無表情に、考えを述べることもなくなるのだ。もう帰ってこないものもいたし、そのまま警察として働き始めるものもいたのだ。警察になれば、生活の保障は確保される。私は今その牢獄から脱獄を試みようとしているのだ。これは意志であり、これ自体を書くことも出来なければ、口にすることも出来ない。その時点で私たちは警察に連行され、もう二度と人格など持ち合わせることは出来なくなるのだろう。これは思考でも、感情でもなく、意志なのである。意志が文字に変換されている。変換されているのはこの街の中ではない。電波として受け取られている。それを変換する者たちがいるのだ。私たちはその仲間と思われる見知らぬ人間なのかもわからぬ者たちにこの意志としての電波、波を発信し続けている。

 

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昨日は寝付けず、それを未だに引きずっている。

書くことで少し抜けて行く感覚がある。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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