創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171201

体育館

 長い渡り廊下を進んだ先にその体育館はあり、体育館にはびっしりとパイプ椅子が並べられている。この学校の生徒の席はもう決められていて、彼も決められた席につくことにした。何が始まるのかはわかっていない。卒業式だろうか。体育館の色合いは濃い茶色であり、その濃さにも馴染みがあった。というよりは彼自身がその色を作り出しているのかもしれなかったが、それよりもその世界に入り浸ることの方が彼にとっては重要な役割でもあったのだ。右斜め前にY君が座っている。Y君は成績優秀で、生徒会長もこなす優等生だ。トライアスロンをしているからか色黒で健康的に日に焼けをしている。しかし、彼から見るとY君は少し生真面目な男で、女子生徒からの人気はソコソコのように思えたのだが、彼の左側に座っていたNさんと目を合わせたY君が微笑みながら正面へと向き返った瞬間を目撃した。彼はこの学校内の恋愛事情なんて精通していなかったし、そういうことには首を突っ込まないようにしていたから、この状況をうまく飲み込めていない。ただ少し呆然として、「まさかこの二人が…」なんてことを考え始めていた。彼も正面を向き、この催し物が始まるのをまだかまだかと待っていたのだが一向に始まる気配はなく、彼は目を閉じて眠ることにした。

 

学校

 彼は教室にいた。多分中学校の教室だろうか。しかし見える校庭は小学校の頃のように小さい印象だった。窓から眺める校庭の左側には砂場、登り棒、アスレチック、右側には鉄棒、そして体育館へと続く長い渡り廊下がある。正面にはバスケットゴールなどがある。サッカーゴールもいくつか点在している。左奥にはプール用の建物もあった。彼は退屈そうに校庭を眺めていたし、校門の位置を再確認した。プール用の建物のすぐ近くにあった。逃げ出そうと思うが、体は動かなかった。何遍も眠りについては、目を覚まし、体育館に行っては、教室に居る。その繰り返しが瞬きするたびに行われる。彼は記憶を映写しているにすぎなかった。映写技師としてはまだまだ新米ではあるが、それなりの信頼を置かれていたのだ。彼はそのことを嬉しそうに家族や友人にも話したのだ。そんなことを漏らすとどうなっていくかといえば、「あいつは最近調子に乗っている」などと噂が広がり始めるのだ。学校というのはそういうところで、なんらかの階級が存在しており、その規律を乱すものは上部の人間からの標的にされるのである。いや、むしろ上部に潜り込もうとする中流階級の人間たちの反乱である。彼はその反乱に見事に飲み込まれ、精神を病んでいくのだが、一人病んだところでこの集団生活にはなんら支障は出ないのである。支障が出るのは先生と呼ばれる彼らの前に立ち何かを語る大きな人間の存在であり、それはその先生の責任問題などになりかねないのだが、先生は、いや大きな大人は本当に気づいていないのか、わからないが目を背けている。むしろそれでいいくらいに思っているのかもしれなかった。これはいじめのことを言っているのではなく、組織の中で実際に起こっていたことへの告発である。誰が見て見ぬ振りをするのかといえばそれは親であり、親は子の素行をそれが正しいと思い込もうとするのであり、彼はその子らの言動、時に暴力により大きく傷を作り始めていたのだが、それは内面における傷であり、「そんなことは気づきもしなかった」などきっと何かの会見があったのなら言い始めるのだろう。何もかもの悪態はまかり通るのものであり、それを一番気づいていないのは親と言われる大人たちなのである。しかしここで考えなくてはいけないのが、親だからといって果たして立派な大人であるのか、立派な人間であるのかということである。果たして立派とはなんだろうか。こうして彼はまた誰かに批判を浴びせ、自分自身を正当化することに努めるのである。もうこれは過ぎ去った話であったし、実際に存在してもいなかった。根に持ってもいない。ただ傷ついている。傷ついたことを自覚しているのか。その傷は実際に負った傷ではなく、もともと持っていた傷ではなく生まれ持っていた感受性なのであるが、そのことを未だに受け入れようとはしない、というよりはすっかり忘れ去っていると言ってもいい。誰かだとか、環境だとかそんなことはあまり関係のないことであり、もともと持ち合わせている人格がその時に表出するにすぎないのだ。すなわち人は賢者にもなるし、犯罪者にもなるのである。そのどちらをも持ち合わせていることをすっかり忘れている。賢者や犯罪者なんて指標はどちらも存在していない。人間が法律によって、これまでのずっとずっと築いてきた価値観によって生み出された幻想でありながら、それはあまりにも根深い問題でもあった。彼はとにかく男であることを強要されることにもう限界を感じていたし、誰よりも強要を促すのは彼自身だったのだ。思い返せば「男が女に手をあげるなんて最低だ」とか「もっと男らしくしていなさい」とか「てめえやる気あんのか、おかま野郎」なんてそんな暴言は日常茶飯事であり、そのなかで彼の中に存在し続けた〈男であり女である〉というその状態は否定され続けているのである。それにもかかわらず彼は未だに誰かの声、意見に引きづられ、自分自身に自信が持てないでいるのだ。自信が持てないのではなく、自尊心がある状態が抜け落ちる状態が定期的に訪れてしまうのである。なにをしていようが結局都度その状態に見舞われてしまうのだから、これは備え付けられているのだと考えても良いのかもしれなかった。それを消し去ろうとすることに何年も躍起になっていたのだが、それが消え去るなんてことはなく、ただ通過儀礼として、産みの苦しみとして、何もかもが生じているだけなのだと認識し始めている。彼が大人を信用しないと言い出したのは、そういった暴言を浴びせられたからであり、それは紛れもなく他人であるから、大切にするのは、親密に関わるのは少ない人間だけで十分だと心底考えているのだ。それは果たして暴言だったのかなんてそんなことを考える必要はあるのか?その言葉が彼を傷つけ未だに取り憑かれているのだから、それは暴言で構わないのだろう。そう認識して一向に構わなかったのだ。

 

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12月になった。

歯を磨くとか、お風呂に入るとかまずはそれだけで十分なのだ。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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