溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171204

長編

 描いているものも作られるものもまた日記の小説のその長編の一部である。現れ方が違うだけでその一部に過ぎない。これまで短編の連続と思い込んでいたものが、一気にまた終わりのない長編への道へと続いていく。それは長旅だろうか?「長いのはどれくらい?1時間くらい?1時間でも集中しているとあっという間なんだ。例えば絵を描いているとかさ。そういう時間はすっかりなんの誘惑も忘れて集中している。止まっているのかもしれない。僕は止まっているのかもしれない。穏やかなのかもしれない。それでいて躍動的なのかもしれないよ。」窓から入り込む太陽の光があまりに眩しすぎて、海の水面に反射する太陽のあの眩しさがどうも辛いと思わせる時があり、また目を細めて世界を歪ませていたのだが、しかしその朧げな世界に入り込むことで情報は遮断、すなわち彼の内面から流れ出ている、その文言をただ観察し、それは流れていく。波は寄せていく。そして引いていく。あまりにも静かに。何も言わずに。その静寂の中で彼は存在しているのだろうか?それとも消えて無くなり、あの葛藤の中に紛れ込んでいるのだろうか。どちらにせよ対峙しているのである。彼らが生まれた頃それは水で、その揺らぎの中で踊るように歌い続けていたのだが、実際には踊っているようにも見えなかったし、歌声は悲鳴にすら感ぜられた。それなのに、いつからかそれが心地よい舞台に変わり、我々はその光景を目の当たりにした。舞台上に立っていたのは男の子だった。少年だった。少年は金髪に、白シャツ、黒い半ズボンにサスペンダーがよく似合っていた。ひざ下ほどまである靴下、革靴、赤い蝶ネクタイ。子供の正装と言えるようなその装いで少年は前を見据えて立っていた。「これは僕たちからの宣戦布告だ。かといって争う気は無い。傷つけることもない。戦争は終わったのだ。僕たちはまた新たに生まれるであろう、争いを止めに来た。停止するために来た。全ての機能を止めるために来た。動いている時間、流れ出す空間、それらに飲み込まれている人間たちの行動を止めるために来た。思考すら止めに来た。ただ呼吸するために来た。ただ歩くために来た。口に運ぶものを食べ、食べたもの自体になり、それらの記憶を辿り、その生命体自体に、多様な生命体の全体、その一部が僕だ。僕たちはこうしてやってきたのだ。」あたりはすっかり冷え切っていた。それなのに少年たちは半袖半ズボンで何事もなかったように森の中を走り回っていた。彼は一本の大樹に目が止まりその大樹に近づいていった。その一本だけが森の中では存在していた。その大樹がこの森を作り出していたのだ。あたりは苔色だったのだが、苔が生えている様子もないし、その大樹を覆うように森は形成されていた。平らだった。平坦な大地が広がっていた。しかし確かにあたりを森だと認識しているのだが、大樹が一本太い幹を携えて対峙しているだけだった。

 

 「例えばその油絵が固まった時、そこに何が付着し、何が定着している?」男は紅茶をすすりながら、彼の描いた絵を眺めていた。「例えばここにお前が付着し、定着しているのなら、お前は今どこにいる?ここにいたお前はどこにいったんだ?俺はお前を探している。この時のお前だ。俺は共に漂っている。この絵にいるお前と、そして俺は乖離しているが、一心同体の状態、俺自体であり、お前自体である。俺らでもあるし、お前らでもある。今、この瞬間、今だ。今まさに消えていく。その声。トンビの鳴き声だ。あいつらは何もかもを見ている。俺らを観察し、引き戻そうとする。どこへ引きもどそうとするのか?奴の目を見ればわかるはずだ。奴の目には俺らの本性が描き出されている。いいか?よく目を見るんだ。それはあいつらの目じゃない。俺たち自身の目だ。」

 

食事

 暖かいミルクティーはみーさん特製ブレンド。ほんのりとシナモンの香りがする。冬になり、まだこれは始まりに過ぎず、これから本格的な寒さが来ると思うと備えなくてはと思うのだが、それでも最近ご飯を食べると体が温まるということを感じる。これまでそんなことを感じたことがなかったのだ。感じていたのだが気づいていなかった。昨夜晩御飯を食べながらみーさんと話をしていると、昨夜は家にあったもので炒飯と蕪のスープを作ったのだが「味が以前よりも薄味になった」と言われた。そして美味しいとも。東京にいる頃、僕はほとんど暴飲暴食に近い食べ方をしているように思った。腹がちぎれそうになるくらいの量を食べていた。それは仕事で疲れていたり、わけのわからない焦燥感だとか、その状態を鎮めるために、食べている間はその食べることにとにかく夢中になれるからか、よく噛むということもせず、とにかくあるものを機械的に流し込むというそういう生活、机にお菓子があれば好きなだけ食べ、それはお腹が空いていないのだが、とにかく口に何かを入れて気持ちを鎮静させることに勤めていた。そうでなくては発狂してしまいそうな状態が続き、人と会うことが出来なくなりそうだったからかもしれない。これはあまり思索せずに書いているし、正しいことであるのかはわからないが、そもそもそんなことを考えることも今はないのであるが、とにかく僕は無我夢中で食べていた。元々は食は細かったし、食べることが苦手だったのだが、野球を始めて、食べなさいと言われ、たくさん食べることで評価されることで、とにかく食べること、胃に量を入れられることが素晴らしいのだとある意味での勘違いを繰り返す。今となってはそれはもうそこまで必要はなく、必要な分だけ食べれば良いし、野球の練習後は毎度下痢になっていた。それは冷たい炭酸ジュースなんかを一気飲みするからであり、それでも喉の渇きが癒えることはなく、とにかく当時それは小学生だとか中学生の頃は何かもう体自体がおかしな反応を示しているのだとも思えた。健康的ではないし、自分に優しいとも思えない。ただ、食べられるようになることで褒められるから食べていた。それに好き嫌いが多かったから、こいつこれも食べれないのかといったことを感じてしまい、いたたまれない気持ちになるのだが、それは未だに続く。みーさんの実家にご飯を食べにいくと僕の好き嫌いで時折盛り上がるのだが、あまり気にしないつもりでいても、申し訳ないとかそういう気持ちになるのだ。とにかく今は食事に関して少しまともになって来たというか、変に濃い味のラーメンを食べたいとかそういう気持ちは薄れて来ているのかもしれない。僕にとっての食事は、僕の人格を形成するものであるように思われる。食べること自体が苦手であり、それを克服したのかもしれない。しかしそれは少し乱暴な克服であり、もう少し食べるというその営みについて向き合って見る必要があるように思うのだ。

 

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作品帳に書き足していくことが楽しい。

一つ作ったら一行埋まる。

 

それがなんかいい。

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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