創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171205

子供時代

 「僕たちの子供時代というものはもう終わってしまったのでしょうか?果たして終わることなどあるのでしょうか。子供であることが終わるというのは果たしていつを境に言うのでしょうか。僕たちの前に阻む大きな問題は子供時代を子供として過ごさなかったということにあります。規律や規則、人に迷惑をかけない。そういった外因を何よりも優先すべきであると教えられ、その通りに振舞うことで子供でありながら大人であることを強要されているのであり、これは児童労働となんら変わらないのであり、僕たちはその振る舞いに対しての賃金を得ることもなく、低賃金どころか無報酬で、その振る舞いを強要され続けていたのであるのだが、そのことに気づいている人は果たしてどれだけ存在しているのだろうか。」彼が一度言葉を発すると、外部では反応が起こり、そこに揺れ、ギターは倒れ、弦が鳴る。これは教育について、学校という制度についての問いなのかもしれないが、そんなことよりもそうやって大人になってしまった、大人だと思い込んだ人間が氾濫していくことへの警告でもあったのだ。川の流れは増し、水位は上がり続ける。その川の流れに飲み込まれてはならないと逆流していたのが鮭の本能である。しかしその時間の中で、大きな野獣に爪で一差し。えぐられ、あの夕日のような体内が垣間見えていた。野獣はそれが本能であったし、何も抵抗することはなく、ただ秩序ともいうべきその組織図通りに動いているようだが、彼らが何よりも警戒心を示すのは、その野蛮の弾であり、狂気と化した矛先である。これは外的な存在ではなく、組織として人ぐるみになって行われる暴力だったのだが、それが当たり前に存在することが正しいと誰がそんなことを言っていたのだろうか。首をかしげるのはいつの日も子供たちだった。子供でありながら、彼らが最も冷静な目で、物事を捉え、純粋さと素直さを持って、そのやりとりを皮膚で記憶しているのである。

 

仮面

 「だからね、僕たちは仮面をつけるように教えられるんだ。それこそが社会での正しい振る舞いであるってね。それは大人という仮面さ。仮想。象牙。牙を持って、対面する。対峙する。その牙が強さを象徴し、そうやって外部を纏っていく。いまでは纏わり付いてしまい剥がれ落とすことも出来なくなったと言ってもいいのかもしれない。剥がれ落ちる。もう剥がれ落ちそうになるのに、牙を修繕、外壁を高く、侵入を防ぎ、川の反乱から身を守ろうと試みるが、もうすでにその時には流されていたんだ。僕たちはただその光景を眺めていたね。あれが大きくなるってことなのかとね。それでも僕たちは責めることはしない。きっと、あの暴言を吐いた、あの人ですら、僕たちをゴミのように扱ったあの人ですらも、きっと大人になろうと頑張っていたんだ。」彼が言っているのは、子供時代を不満足に過ごした、子供をするための社会ではなく、あくまでも子供という欲求を押さえつけ、大人としての振る舞いを強要され続けて来た子供たちへの投げかけであった。その暴動はもうすでに始まっていて、狂気は突然生まれるのではなく、日々、社会が、人が淡々と作り上げる造形に過ぎない。それが表出した時にそこに居合わせた人間は怯え、狂い、逃げ惑うのであり、そうでありながら私たちは逃げ惑う。何よりもまず逃げ惑うことだった。これは本人である。造形者本人に逃げ惑う術を教えられる大人と言われる人間はどれだけいるのだろうか?強要ばかりが続き、表ばかりが続き、点数、順位、査定、そういった世界の中で逃げ惑う術を知っている、伝えられる大人はいるか?いるのなら手を挙げて、立ち上がらなくてはならない。逃げていてはいけない。逃げ惑うすべを伝えることは逃げてはいけないのである。これは人命救助である。今もまだ戦時中であり、災害は続いている。何も収束していないのだ。何も片付いていない。それにもかかわらず、それはまったく何もないこととし、また世の中は動き始めるのだ。「経済発展、経済成長。」政治家は言う。経済こそ豊かさの象徴だと言う。富こそ豊かさだと言うのである。そんなもの投げ捨ててしまえばいいのに、誰もがまたその幻想にすがりつく。第一優先は人命であり、富ではないのだが、生活は蝕まれ、それに従うように教育を受ける。そうだ、従うのだ。上の言う人のことに従うのだ。純粋な目で彼らをみては、そのことを信用し、助けてくれると、助けけてくれると信じて、共に進むのだ。指示を仰ぎながら、言われたことを忠実にこなしながら、私たちは安心、安全の平和な国で生きているのだ。なんてありがたいことだろう。なんて幸せなんだろう。幸福であるとそう思い込むのである。誰も不幸せな人間はいないと考えるのだが、そう思えない人間が悪であり、弱者であり、そうやって病気を作り上げるのであり、それは楽しい音楽会のようなものだった。

 

舞台

 「今、転調したんですよ。絶望から希望へ。何もかもが音楽のように、一瞬で、変わる。それは譜面上にあるその先にある意思を発見、触れ始めたことなのだと思います。作曲しているのです。僕たちは常に作曲しているし、歩きながらその歩調というリズム、音階を刻み、正しさを追い求めることもなく、ただ湧き上がる徒歩。徒歩の音楽。それが散歩なんです。右左のリズムに一定などなく、ただ注意すべきは社会、大きな流れとは一線を置き、自らのリズム、メロディについて着目することであり、僕の仕事は作曲家とも言えるのだと思います。散歩こそ最高の音楽である。その旋律に乗せて歩いているのだから、立派な音楽と言えましょう。決して同調してはいけない。あくまでも自らが鳴らし続けるのです。だってオーケストラは僕が鳴らさなければ、その指揮棒を振らなければ鳴り始めないですから。」彼は、指揮者でありながら、演奏家でもあり、ソリスト、それでいてコンマス、そして全体の一員であったのだ。その調和の世界にいたのであり、それは舞台上と客席を切り分けること自体がまったくおかしな話であり、この行為は空間芸術であったのだ。役者であり、演者でありながら、客席自体にも彼は姿を表していたし、客席からの声を元に舞台は進行していくし、客席自体もこの舞台を作るために必要である重要な存在だったのだ。それらを作り上げていること、空間と時間、そこに関わる人、光、音、何もかもが必要不可欠であり、その出来事に無意味なことなどなく、これは関係妄想と言えるのだろうが、何もかもが彼が引き起こす舞台芸術、空間芸術であり、その舞台に私たちは巻き込まれ、気づかぬうちに演じ始めているのだ。

 

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良いものは人が運んで来てくれる。

そんなふうに思ふ。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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