創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171208

水面

 水面が揺れていた。これはプールだったんだけど、もう冬なのに水は溜まっていた。あの塩素の嫌な匂いはしなかった。屋上にあるプールだった。1階に脱衣所があり、そこで着替えて屋上に集合する。屋上と言っても2階建てだった。消毒という理由で冷え切った消毒液の中で10秒、そしてシャワーを浴びる。夏にはいいのだがもう寒くなってきた時期にこれらを通過していくのは苦痛以外の何物でもなかった。泳ぐことが苦手だったからその時間が訪れるたびに憂鬱な気分になった。クロールで25m泳ぎ切った時は嬉しかった。後半はもはや息継ぎなんてしていなかった。とにかく苦しかったけど我慢したんだ。これは授業だった。定期試験があるのだ。そうやって格付けされていくことに怯えていたから、とにかく泳ぎ切ろうと誓っていた。だから我慢して泳ぎ切った。心臓がバクバクと唸り声をあげた。呼吸することが大変と思ったのは初めてかもしれなかった。生まれた瞬間もしかしたら僕は泣き叫んでいたのかもしれないが、こんなにも苦しいことがあるのだと思った。そうして検定が受かったことがわかる印を水泳キャップにつけることになる。しかしそうするとまた次の試験が待っているのだ。泳ぐことが得意な友人は僕の抱いている恐怖心なんか御構い無しに試験をクリアしていく。僕は劣等感を感じていた。僕は小学生だった。周りの友人と比べて明らかに授業で行われることをこなすことができていなかったのだ。そのことが劣等感を生んでいた。焦っていたしおいてかれてはいけないと必死だったのだ。そう考えると何か得意なこと、好きなことを見つけるのは大変意義のあることであった。野球がそうだった。「上手だね」と言ってもらえた。だから学校で行われる縄跳びや鉄棒、サッカーや水泳やらよりも野球にのめり込んでいったし、それが好きだったのだ。スポーツが苦手だったのかもしれない。その中でスポーツが苦手だった僕にとって野球はスポーツの中で褒めてもらえる対象だった。ここで誤解してはいけないのは比較し始めていたのは何よりも彼自身の行いだった。しかしその空気に同調することが重要にも思えて、努力することになる。それは果たして努力なのだろうか?努力は我慢することではないのだが、あれは果たして努力だったのだろうか?彼はそうやって多くのことを比較から手放していった。そして異常なまでに人前に出ることを怖がった。かと言って国語の授業で本の音読をすることは大好きだったし、音楽も好きだった。しかし図工だとか美術だとかそういうことは劣等感を抱き、だんだんと離れていくのだから仕方ない。これが彼の育った環境だったのだろうか。素直に受け入れようとしたい、素直にその世界で生きようと考えていたし、そのための努力(もはやそれは我慢かもしれないが)もしているように思えた。しかしその結果彼に残ったのは苦しみという皮膚記憶であり、それは皮膚が記憶しているあの時の空気感だった。

 

得意不得意

 彼がまだ小学生の頃、明らかに得意不得意というのが大きく開いているように思えた。しかしそれを平均点という名が氾濫していたから、大切なのは平均点であるとそう考えて、出来ないこと、もはや得意でないことまでも努力をし、それでなんとか普通くらい、時にはその下くらいだったのだが、どんなに努力したところでその先にはいけないだろうと感じていたのだろうか。彼が好きだったものは作ることだったし、絵を描くことだった、そして歌うことだった。車の中から流れる音楽に、聞いたこともない音楽に合わせて歌っていた。それは適当だった。しかし心地よかったし、楽しかった。兄はそれを否定し、怪訝な顔を見せていたが御構い無しだった。兄に何かを言われたところで態度で示したところで怯えるような彼ではない。いやもはや存在すらも消し去ろうとしていたのだ。彼は兄の存在すらもないことにし、その状況を何から何まで変えようとしていた。あのエルグランドの車内で行われていた、あの大きな車の中で行われていた攻防戦を知っていたのは本人達だけなのかもしれなかったし、彼が一方的に行っていたことだったのかもしれない。どうしてそこまでの嫌悪感を抱いていたのかと言えば、これまでなんども書き記していたが兄の存在自体が彼の生活を脅かすものであり、彼は兄と関係する人物であることを知られてはならなかったのだ。だから隠蔽工作を繰り返し、あの人と私はまったく関係の無い、血縁のない他人であるという振る舞いを徹底していたのだ。これは彼が繰り返し続けた悪事であり、しかし正当な評価を受けるべき争いだったのだ。しかしそれは誰から?誰からその評価を受けようというのだろうか?

 

治癒活動

 得意不得意が多かったのだ。不得意なことが浮かんでくるたびにいたたまれない気持ちになるのだ。悲しい気持ちに、それでもやらなくてはいけないという気持ちに、どうしても上手くなれないこと、出来るようにならないことが多く、もはやご飯を食べることさえも苦手であり、そういうのを好き嫌いなくこなすことが社会では重要なのだという無言の圧力を感じ、彼は我慢という方法でその場をやり過ごす術を覚えていた。その時間だけ我慢すればいずれ苦しみは終わるのだから、その1時間をとにかく我慢すればよかったのだ。時間さえ過ぎ去ればその苦しみは終わるはずだった。それなのに、その1時間がどれだけ長く、永遠のように感じられるかはあなたの知っている通りなのだが、果たしてその連続が、その光景が彼にとっての幸福だったのだろうか。彼は未だにその光景を思い出している、むしろそれがあった時よりも、もう何年も経っている今の方がより鮮明に、そして肥大化させている。忘れるどころかだ。むしろ忘れることなどなく、いつまでも付きまとうのである。そして乗り越えるどころか、そのことが彼を苦しめているのだと、彼は言い張るし、足かせがされたままだった。彼は未だに子供のままであった。そのことを認め始めていたし、きっとこれからも大人になることはできないのだと考える。子供のままなのだ。なんの成長もせず、ただじっと子供のまま耐え続けていたのだ。彼はその子供らと手を取ろうとしているし、もう我慢させることはさせまいとそのために、救済活動、治癒活動だった。

 

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冷える日が続きます。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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