創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171212

強固

 「僕たちが作り上げたものはね」と、Kは言った。「僕たちは強固な思想を作り上げてしまったんだ。まるで崩れ去ることはない絶対的な思想と錯覚している。いいかい、これは僕たちが作り上げた幻想。錯綜し続けている。それはあなたの感情であったり、知恵であったり、経験であったり、教育が、何もかも入り混じって存在させているのだけど、その凝り固まってしまった思想を溶かす気持ちはある?溶かすことなんだ。次第にその物体は液体になり、机から床へ。滴り落ちた先にあるのは土だった。そして雲だった。上に下にどちらにでも存在しているのだからね。握りしめているのさ。何もかもを。そのことを紐解き、手放すことなんだけど、もしかしたら握りしめていることすらも気づいていないのかもしれない。苦しいとか、辛いとかそういうことを言うけれど、そうさえている張本人というのは僕たち自身なんだからね。なぜ、劣等感を抱く?何を基準に?どうして判断できる?それはどこからきたのか。その基準は、その判断は。柔軟性を失ってはいけない。かといって柔らか過ぎてもいけない。その一瞬の、瞬発力。目を閉じて見たらいい。目の奥にじんわりと広がる、何かの液体、眼球の重さ、形、神経、手まで伸びて、その精密機械、犬の遠吠え、手の甲の冷たさ。静けさにも音がある。もちろん、あの人の声にも種類がある。深度といっても良いのかもしれない。どこからやってくる声か、音か。よく聞き分けなくてはいけない。よくよく耳を傾けなくてはいけない。時に静止、静寂を半強制的に喚び醒まさなくてはいけない。召喚獣。呪術師。魔法をかける。時間を止めてしまう。時間自体になってしまう。僕たちはそうやって今もまた時間に身を寄せるんだ。まぶたの裏にいるのはだあれ?」

 

歩む

 「そう私たちは語りかけている。語りかけあっているの。とめどなく支離滅裂。まとまりなんてないわ。まとわりついてはいけないの。私たちの周りにまとわりつこうとする者。あなたたちはどこからきたの?それも受け入れなくてはならないの?私にはできない。私にそんなことが出来るはずがないの。だってこれまでもそうだったから。きっとこれからも、そして今もそうなのよ。続いている。延長線上にいる、それが私。私は今点と点その間の線。線上で綱渡り。揺れる。風で揺れる。海の上。見渡す限り海。あまりに広過ぎて、それなのにこの線はどこまでも続いている。まだ終わりは見えないわ。もう長いことここにいるみたいなの。私はずっとこの線、綱を渡ることだけの生活が続いている。風が吹けば落ちるだろうし、鳥が私を啄もうとしてくる。私は必死に抵抗するの。抗い続けるの。海に落ちると、気づけば私はまた綱の上に、元いた場所に戻ってくる。それがいつまでも繰り返される。不安定なのではないわ。私はその線の上にいる。それを不幸だとか、不安定だとか決めつけることが私にはどうしても出来なかったの。私はずっとここにいる。海の上で綱渡り。ずっとずっとそうしている。歩まなければあの鳥たちの餌になるだろうし、海に落ちればそのまま溺れ死ぬ。魚たちの餌になる。私を見つけるものはいないだろうし、それでも構わないとだって思っている。私はまた風に煽られるの。これは何?情報?あの街で見た看板?宣伝広告?時間の短縮?多忙?私は多忙なの?私たちは多忙であることが重要なの?どうして?なぜ?私は一歩ずつしか歩むことが出来ないの。」

 

排除

 「早く。早くしてくれ。たらたら歩くな。改札はスムーズに通れ。素早く動け。止まってはならない。列を乱すな。この流れを乱すな。乱すものは敵とみなす。俺の速度に、このスピードについてこい。早く。早く。もっともっと早く。もっともっとだ。まだまだ足りない。もっともっと必要だ。なぜ必要かって?そんなことを考えるなもっともっと動け。もっともっと生産、生産、生産。売って売って売りまくれ。稼ぎどきだ。今が書き入れ時。もっともっと。客を呼べ。集客、集客。客寄せパンダを呼べ。金は払う。止まるな。もっともっと動け。早く。もっとはやく。正確に。それでいて正確に。間違いは許されない。即刻クビ。直ちに排除。ついてこれぬものは排除しろ。直ちに排除。ゴミ捨て場にでも放っておけ。俺も追われている。早くしろ。もっともっとだ。足りない。足りてない。何かもが足りていない。お前らはなぜそんなに無能なんだ?まっったく使えない。早く。早くしろ。いいからやれ。感情なんぞに追いつかれてはならない。心ではない。労働。必要なのは重労働。もっともっと。そうすれば豊かになる。もっともっと豊かになるのだ。そうなりたいだろう。それこそが幸福なのだ。俺は幸福だ。誰よりも富を得ている。だから幸福である。誰にも評価させない。俺についてこれないものは排除する。」

 

所有

 「所有することから離れなさい。私たちには所有など出来ないのです。どこからどこまでが私のものであるかなんてどうしてそんなことが言えるのでしょうか。これらは皆共有財産であり、私自身が公共物であるのだから、どうして物をましてや大地までを所有することが出来るのでしょうか。あなたが買ったそれらはあなたのものなのでしょうか?それは証明書があるからなのでしょうか?証明書があるのだから、あなたのもの?契約書があればあなたのものなのでしょうか?紙があれば所有ができるということなのでしょうか?私たちは所有することから離れていかなくてはなりません。その意志から。あなたは子供だったから、そして私たちも未だに子供だから、自らが満たしてあげることなのです。溶かしあい、まぐわうことなのです。何もかものその所有という概念から逃げ出すのです。なぜ?もう何年間この問題とぶつかってきた?これは問題?これは果たして存在していたのでしょうか。概念、思想、そういったものから逃げ出すことです。私たちは新しい概念を作りながら、新しい思想を生みだしながら、所有することはしないのでしょう。何も持ち合わせていません。私の掌から何もかもがこぼれ落ちていく。その砂を静かに凝視することです。その砂の行方、大地に還るもの、風に乗るもの、体内に侵入するもの。彼らの行方を観察することです。彼らはどこにも止まろうとしない。動き続ける。場所すらも所有しようとはしないのです。」

 

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捉え違いしていることがあるなら、無理に変えようとせず、ただ流れていくのを観察すること。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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