溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171217

陽気

 久しぶりに出会った。彼は陽気であったし、ものごとを楽しく捉えることができる人間だった。周りからは少しふざけすぎているとか、おちゃらけすぎているとかそういう評価を受けていたようだが、私から見れば彼の存在は大きなものだった。彼のその陽気さに幾度も救われていたのだから。しかし彼はある日を境に姿を消した。彼は無言の圧力とでもいうのだろうか、皆が進んで行く方向には従えないとして、自らあの集団から抜け出すことを選んだ、行く先も期間も、何もかもを伝えず。いや、伝えられなかったのだ。あの段階で彼は何も決めていなかったのだろう。どちらにせよ、気持ちが、その魂が従う方向へと歩んでいったのだ。体が向かう方へと。ある意味でその過程の中で、寿命が訪れるとするなら彼は抗うこともなく受け入れただろうし、今は結果こうしてまた私の元に帰ってきて笑顔を見せているのだ。彼との付き合いはもう随分と長い。数十年来の付き合いだ。最も古い友人と言っていいかもしれない。私たちはいつも行動を共にしたし、寝る間も惜しんで創作活動に没頭していた。それが二人にとって、最大の喜びであったし、きっといつまでもこうして作り続けることが私たちの役目であろうとそう考えていた。しかし、私はその抑圧に負けその一員になることを選び、彼はそんな一員になることはごめんだと言って姿を消した。初めての口論だった。対照的だったのかもしれない。しかし奥底にある、本質、根本的にな考えは変わらなかったのだ。私たちは作り続けることの喜びを知っていたし、どちらの道を選んだにせよその活動がどれだけ制約されたにせよ、止めることはなかった。それが私たちにとっての批判的態度であった。しかしその間私はすっかりと気分を落とし、その抑圧であったり、規則、失敗の許されぬ状況、評価、あの弾圧により気分障がいを発症するのだ。突如希死念慮に襲われる。何度も何度もだ。普通に働く、その勤務というものが到底難しい状態に陥っていった。そのため私は精神病院への入院を余儀なくされ、そこで数年を過ごしていた。その間も彼のことを忘れることはなかった。彼の存在こそが私の支えであったし、きっとどこかで彼らしく生き延びているだろう。きっと彼ならどこへいったとしても人付き合いをこなし、彼らしさ、その自由さ、あの伸びやかさを忘れることなく、どこまでも彼の世界を広げていっていると私は確信していた。しかし私自身はどうだっただろうか。鬱々とした毎日が続き、そこから脱したと思えば、また鬱々とした世界へと戻ってくるのだ。脱した時私は彼自体になっていたように思うし、きっと彼に出会っていたような気がする。あの頃のように。だから私はあの頃のように、前向きに物事を捉えることもできたし、彼がそばにいるその瞬間は私らしく、私を表出することが出来ていたのかもしれない。私は彼との再会を喜んだ。しかし、これはまたあの一時的な幻覚のようなものなのだろうか?しかし私の元に彼は帰ってきたのだ。その喜びを露わにして何が悪いというのか!また共に過ごすのだろう。彼とまた、あの頃のように。

 

繰り返す

 「あなたは幾度も繰り返す」Kは言った。「あなたは幾度も幾度もその状態を繰り返す。私たちはその光景を観察してきた。記録もした。提出してある。そこでカルテは管理されている。私たちの見解を述べようとは思わない。あなたの感じているままで構わない。むしろそれでいい。その状態こそが正常なのかもしれません。あなたの元に向かわせたのは私たちだったのかもしれない。しかしそんな契約をしてはいないし、今後する予定もない。私たちにとってその紙切れやペンで書かれた文字はなんの意味も持たない。紙切れ一枚で何もかもを変える効力があるとしたらそれは何?データで管理されることで損をしないようにしているのは誰?本当に私たちが生き残るための施策をしている人物はどこに?私たちは中途半端な延命措置により命を蝕まれているのにね。あなたたちが出会ったことには必然性があった。そう決まっていたようだった。私達はそう記憶している。まるで神様があなたたちを出会わせた。それはイタズラでもなければ、行為でもない。あなたたちが惹かれあったと言った方が良かったのかもしれない。たまたま生まれ落ちた場所によってかもしれないし、それすらも超えて出会うのかもしれない。まったくかけ離れた場所から人は出会い始める。それはあなたたちの中でも起こっていることなのかもしれなかった。あなたたちは内側で出会っていた。外側ではなかった。その内面で漂い続けていたのがあなたたちだった。そこで出会っていたのがあのWやKだった。あなたたちもそこで彼ら、彼女らに出会っていた。そこにいた。死しても尚その世界にいる。彼ら、彼女らは未だにこの世に生を保っている。そこで生き続けている。そこで出会おうと思えるか?あなたたちが取り組むべきはあの死者との、その生存者たちとの出会いなのよ。そこにいる。そこで言葉を交わしなさい。そこにあなたたちの言葉があるわ。そこに言語が存在する。そこで待っている。いつだって待っている。」

 

 空はいつもより高かった。澄んでいるようにも思えた。きっと私たちは反応し合うし、影響し合うのだと思います。それは宿命的なのかもしれない。私たちは影響しあいながらも、それでも何か目指すべきものがあり、それともただ感覚的に物事を捉えているだけなのかもしれないが、目の前の、その紙に、文字に、絵に、音楽に、没頭している。ただ影響し合うもの同士がそうしている。あなたたちが影響されている次元は?周波数は?どこにある?感じている?何を感じている?あなたたちが存在すべき場所は?その表情を生み出しているのは誰?その目の奥にある映像に映るのは?

 林檎の木が揺れていた。彼の思考を通り過ぎて言ったのはバナナだった。バナナの大群が彼の体を揺らしていた。林檎の木になった。彼は林檎の木自体だった。バナナの大群は振り向かなかったが、ただ感謝を伝えた。どうしてバナナだったの?そんなことを聞いちゃいけない。聞かれたところで何も応える術がなかった。彼はその答えを持ちわせていなかったしそんなことはどちらでも良いことだった。もう行ってしまうの?彼は呼び止めには応じなかった。それでも良かったのだ。そしてまた風が吹いて、辺りの様子は一変してしまった。

 

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今日は晴れ。

昨日は突然強い風が吹いた。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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