溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171218

見届ける

 見届けていた。それは淀み。かなりの量を所持していた。排泄された。そこに空洞が現れ、隙間が顔を出す。あまりに背負い込み過ぎていたのかもしれない。膨大な情報、莫大な所有物。もうそれは抱えきれるのか?抱えきれていたのだろうか?倉庫でも借りて、またそれすらも維持しようと考えるのだろうか?いずれ忘れ去られていくであろうその倉庫行きの衣服や家具。既製品を買い集めた結果だったのかもしれなかった。既製品に幸福があるのだろうか。そこに自らを示すような、自らを表出させるような効果効能はあったのだろうか。しかしその既製品と既製品とを組み合わせればそれはブリコラージュされていくのだろうか。そのつぎはぎには自らの手が加わったのだろうか。私たちが今作り上げようとしていたのは家庭内医療であり、それは内面に当てた処方箋のようなものだ。すなわち書物である。その書物が家庭にある薬としての役割を果たすのだ。通院したところで、その病が治ることはないからであり、家庭で自らの手で処方し、自らがその病を癒していくことが忘れ去られているからだった。手に取れるような家庭の医学書だった。それは様々な出来事を元に、様々な人物像を知るために、それは自らの内面に存在している多数の存在を受容するために、その書物は重宝されるのだろう。それが私たちが作り上げている書物なのだ。これは通行許可書に過ぎない。その発行方法を何もかもを余すことなく書き記しているだけなのであり、きっと私たちと同じような文言が出てくるなんてありえないのだろう。類似はしているのかもしれない。しかし、同じではないのだ。「私たちは同じ人間である。しかし全く違う人間同士である。私たちが探求すべきなのは自分自身と他者との違いについてである。自分自身と他者との違いを存分に発揮するべきなのである。」見つめ続けることができるか?

 

肌色

 「あなたはあなたのままそのままで絵を描きなさい。それが素晴らしいし、それこそがあなたの絵よ。既製品を描くならロボットに任せてしまえばいい。機械に、AIに任せてしまえばいい。あなたには心があり、その感性、あなたの捉えたあの紅葉の赤は、あなたの赤は何?もっと黒いし、もっと青かった。それがあなたの愛している赤だったのだから、結果それこそがあなたの赤で私はかまわなかった。何ら問題はない。しかし、肌色なんてそんな色まったくもって許してはならない。その肌色こそが、人種差別であるのだから、その色を肌色と言ってはいけない。」

 

人間

 どこへ行こうとしているの?抑制する必要はある?止めることはないのかもしれない。私たちはその矛盾した状態の中にいる。曖昧さの中で揺らぎ続けている。確固たるものは存在しているのだろうか。それを求めて何になるのだろうか。しかしどちらも存在しているのかもしれない。何もかもがどちらも存在。そのことが私の思考を促す。止めどなくどこまでも、まったく答えのない、しかしまだ新たな見解。結局その時に腑に落ちるかどうかだ。その部分までは語り尽くさねばならぬのだ。そうでなくては彼らは動き出さない。機械ではないからだ。人間だからである。人間だからお互いが語り尽くさねばならないのである。そうでなくては動き出さない。彼らは機械ではなく、人間だ。機械ではなく、人間なのである。

 

天空

 指を鳴らす。ポキポキと骨の音だか関節の音だかが鳴り響く。それは耳に入ってくる。音として入ってくる。体内の音。それが耳に入ってくる。響いているのは内側?それとも外側?皮膚の中は内側?それともまだ外?内側はどこからが内側?内臓の中、その先、そこにある心だとか魂のことを言っている?それが内側?そこにいるのは子供達?大人は外側にいるの?表ヅラのこと?外側にいる私は大人なのかしら?そうとなると彼は子供?私は大人としての役割と全うすれば良いの?しかしその内側にいるのは誰?何者でもない?私ですらないの?それとも私?彼?彼女?人?動いている。確かに動いているの。間違いなくそのことを感じている。それは記憶とは違ったのかもしれない、想像とも違うわ。脳の動きではなかったの。私の内面で起こる動きだったの。それはまったく変わりがないようで大きな違いがあるように思えたわ。確かにいる。揺れている。波、群青、岬での水浴び、北風、草原、そこにある水道菅。それらは私を内面へとつなぎ合わせていく。この瞬間もまた脳に、きっと記憶に、想像に入り込んで、またその瞬間どこかへ。私は止まることができない。どうしたらその内側に止まることができるの?もうこの瞬間私は外壁を眺めていた。投げ出されたの、海からも、空からも。どちらもまっさかさまに世界を眺めて、どちらも天空であった。私にっての天空は深海だった。そこで出会うの。私はまた暗闇に出会うの。もう一度、あの頃のように暗闇の中でうずくまりながら、呼吸するわ。人工呼吸。私自身ではない誰かの呼吸を感じているの。彷徨い歩く。太陽が眩し過ぎたのね。私には刺激が強過ぎたみたいだった。だから私はあの暗闇への憧れを、恐怖を忘れることはないのかもしれないわ。また出会う?そこでまた出会うことは出来るかしら?あの頃のように、私たちは出会うことが出来る?今となってはうわべだけのありがとうやごめんねを即座に中止することが出来る?止めることが出来る?私たちにその勇気はある?そのための努力を惜しまない気力は?どうして我慢しあってきたのか。もう手遅れなのかもしれない。しかしそれすらも忘却させるの。それすらも私たちはあの崖っぷちに追いやり、そこから飛び降りるように命ずることが出来る。そうやって何度も何度も、幾つもの物事、そして人物を忘却していったわ。時に噂話まで、何も知らないかのように、何にも触れていないかのように、まるで初めて聞くかのような顔をしてその輪の中に入っていくのでしょう。その輪でもまた、難癖をつける。そうやってまた崖に追い込み、押し殺す。抹消し、またないものとし、海のもずく。しかし彼らはずっとその深海で、暗闇で何もかもをかき集めて、あなたのことを狙っている。あなたを突き落とすタイミングを見計らっている。あなたは真っ逆さまに天空へと落ちていくのでしょうね。

 

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今日も晴れ。

夜になると冷える日が続く。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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