創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171219

矛盾していて曖昧で

 また少し眠気が襲ってくる。そうなってくるともう現実との境界は曖昧になり、どちらもフラフラと地に足がつくことはなく揺れる。「私たちはどこにいてもあの光景を目にすることが出来る。そして何度も思い浮かべてはその世界に浸っているの。そうやって何度も何度も反芻し続ける。触れてみたり、味わったりする。その都度違う感触を味わいながら。まったく同じ光景、人物だったとしても、何度だってそれは変化する。私たちがまた新しい存在であるからだし、これからもまったく同じように感じることはない。その変化を、移ろいを味わいつくしかないの。そうやってまた出会う。夢の中で、夢自体となり、そう私はそこで肉体を手放し、意識だけがまたさまよい歩き始める。天から伸びるその光に照らされて、その光に連れ去られるように、いや望んでいるその光と一体となり、私たちは解放されていく。これはどこで起きていた話だったのだろう。あの国、あの街、またはあの家の中で起きている。家の中で起こる様々な出来事こそ世界であり、そして内面に続く。そこにあるのは矛盾なのだが、そのことに気付きながらも進み続けないといけない。私たちは今こうして発する言葉、行動、叫び、その発狂自体が何もかもが意味をなさないことを知っていた。意味を追いかけてはいけない。その質量を出し合うことでしかない。そこで触れ合うことであり、決して怯えることもなければ、立ち向かおうとすることもない。ただ自らの空間をその中に、それは家の中であるのかもしれないし、自分自身を含めた内包される矛盾すらも一体となり、それらの衝動は溢れはじめる。流れ出たその衝動を眺めた時、結局私たちは笑ってしまった。まったく自分自身の発言と行動、そして態度があまりに矛盾していたものだから、笑わずにはいられなかったのだ。それは信頼があるから出来ることだったのかもしれない。自分自身に対する信頼、そして家の中で起こる、その家の中に存在する人物たちに対する信頼。そういった何もかもの信頼か関係から何もかもを表出させるのである。それは妄想だったのだろうか?私にとってのその妄想が、私にとっては現実であったし、真実であったし、大きな矛盾だったのだ。私はまたその曖昧さの中にいる。矛盾していて曖昧で、それでいて答えもない。そんな世界に私たちは身を置いている。」

 

 思い切って声を鳴らす。声を鳴らす時に覚えているのは抵抗感であるのだろうか。どうして声は出ないのだろうか。聞かれてはならない声がそこにあったのだろうか?隠し通さなくてはいけない声があったのだろうか。次第に彼の声は後ろめたさに変わり、知られてはならない、秘密を所持しているような気分に落ちいり、喉をすぼめ、周りに聞こえる聞こえないかほどの歌声を響かせることになる。そうなるともう、響きであるというよりは、声を絞り出すと言った状態であり、私たちのお腹の中にある歌、音楽はいつだって鳴り響いているのだから、どうして抵抗したり、遠慮なんてする必要があったのだろうか。腹の中、喉の中、そこを通り抜けていくのは感情だろうか、それとも音楽としての、その成り行きなのだろうか。語りかけるのはいつの日も胸の声。胸が鳴り響いているのである。どんな時も。静かに語りかけていた。その声に今となっては聞く耳を持って、接し、しかしどちらも対等な関係を育み、だからと言って遠慮することではなく、黙秘することでも、沈黙を保つことでもなく、何もかもをさらけ出していたが、そこにはお互いの気遣いがあったのかもしれなかった。そこから逃げ出してはいけない。立ち向かわなくてはいけない。対峙し続けることだ。見つめることだ。待つことだ。意気消沈した時に我に返る。そこで出会う。彼はもう出会っていたのだ。それはありがとうやごめんなさいであった。ありふれた氾濫したそれらとは違う質感がそこにはあった。ただ単に発せられるそれらとの違いは触り心地、質感、そこに温かみや柔らかさ、思いやりがあってのことなのかもしれない。言葉の意味ではなく、そこに含まれる内容。

 

木こり

 木こりたちは踊っている。斧を持ち、のこぎりを持ち、エッサホイサと踊るのだ。木を切るのは木を生かすためだった。決して自己啓示欲のためではなかった。満たされない感情を、あの頃の、あの時のお母さんに対しての思い出はなかったのだ。木こりはすのこを切っていた。思い思いの形に切った。思いつくままに、自分自身が好きな形に切り分けた。そしてくっつけた。コラージュした。かたどった。そして巻いた。糸で彩ったのだ。彼はその彩られていく光景を、まったくその輪の外から眺めているだけだった。果たして自分には木こりとしての性質が存在しているのか、木こりとしての本性を持っているのかと自問自答した。彼は斧を持つ勇気も、のこぎりを手にする前向きな気持ちも持ち合わせてはいなかったのかもしれなかった。それなのに彼は木こりたちの踊りを楽しそうに目撃した。時には共に踊ることだってあったのだ。その日を境に彼は木こり達の元を度々訪れるようになった。これまであった何もかもを彼は忘れられるような気がしたのだ。木こりは前向きだった。命を扱う人間だったからなのかもしれない。だからこそ前向きに生きているように思えた。死を後ろめたいと思う人間ほど、何か腐乱死体の香りがするものだ。生命に触れる機会はいつからか途絶えかけていたのだ。心臓が鳴り響く、あの興奮、あの恐怖、その心臓に耳を澄ませるその時間がすっかりと抜け落ちてしまっているようにも思えたのだ。果たしてどこに。そうやって見て見ぬ振りをして、蓋をしてしまって、そこで腐りはじめるのだ。それは発酵とは違った。菌すらもそこでは死んでいたのだ。そのことに気づき始めた者たちは自ら蓋を開け、自らがその腐敗と向き合うこととなる。しかし、それはもう開けた瞬間に発酵へと変わっている。空気に触れた瞬間に菌は呼吸を蘇らせるのだ。風が菌を運び、また菌はそこで呼吸をする。その内側で蓋をされていたまさにその場所で、手を取り出会いはじめるのである。その出来事を木こりたちと共に見学していた。木こりはその様子を事細かに記録し、私に笑いながら伝えていた。どうして彼らはそんなに前向きなのだろうか。私は木こりたちに惹かれている。木こりという職業に、その表情に私を感じるからである。

 

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お風呂なかでのコーヒーは中々よい。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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