創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20171231

混同

 またどこか遠くへ行っていたようでした。いったいどれほどの記憶が私の中に隠されているのでしょうか。その度に現れる感情のようなものを紐づけているのだろうか。全く別の体験であったはずの出来事が、感情一つで、似ているという理由だけで、芋づる式に記憶は蘇ってくる。しかしよく眠っていた。ほとんど夢を見ながら眠っていたようだったが、本当に久しぶりに風邪をひき喉の痛みが強かったのだ。みーさんから「今日は安静にしていなね」と言ってもらったこともあり、ご飯を食べては寝て、お茶を飲んでは寝てととにかく眠るようにした。途中ホットゆず蜂蜜とか喉の痛みに効くツボを押してもらったりもした。だいぶ調子は戻ってきたように思うが、まだ痛みが残っている。疲れていたのだろうか。確かに疲れてはいるようだった。今は現実と夢の境界線は曖昧だ。いつもよりも曖昧である。夢で起こることも、現実で起こることもさして変わらない。どちらも感情を動かすし、どちらも意味があって起こっている。夢の中で見かける人物が多数いる。夢かと思えば記憶を辿っているように思えたりもする。悪夢ではなかった。かと言って、それが快適というわけでもなく、体の中にしまいこまれたその情報量は膨大で、まったく処理しきれていないように思われたのだ。あまりにも多過ぎた。追いつく間も無く目を覚ます。限界がくると目を覚ますのだ。ものすごいスピードで映像は流れるし、割り込んできたり、どうも事実とは捻じ曲げているように思えたりするのだが、それは自らが作り出していると言っても良いのかもしれない。それを否定しても仕方のないことだし、そんなことをする必要もないのだろう。自分自身の処理能力ではこれ以上の情報をもう処理しきれないのだろう。これ以上は入りきらない。最も、掃除をすべきなのはこの記憶や溜め込んだ何かなのかもしれないが、それはもう消え去ろうとすることもなく、むしろ年々、鮮明になり、まだ中学校を卒業もしていない状態。未だに卒業式があると思い込んでいたり、野球の練習があると思い込んでいたり、とにかく未だに意識はそこにとどまっていて、今の現状とを何もかも混同している。それがもう何年も続いているのであり、いったい自分はどこにいるのかが分からなくなるのだ。

 

後味

 「あなたたち時間はもう過ぎていたからね。その分の金額は頂戴しますよ。あなたたちの時間は超過しているからね。当たり前さ。」私たちはとある場所を借りて食事をしていたのだが、この後の予定は入っていないので時間を気にせずに使ってくださいとの声掛けがありゆっくりと過ごしていた。しばらくすると私たちは裏に呼ばれた。もうだいぶ時間を超過している。その分の代金を支払えと詰め寄られた。私たちはまったく現状が掴めなかった。突然のことで混乱していた。好意ではなく騙されていたのだ。好きに使うのは自由。しかしその分の金額は払わなくてはいけないとのことだった。私たちは単純に言い返すことも出来なかった。突然のことで混乱していたし、まあ正規の金額だから良いだろうとも思った。しかしなんとも後味が悪かったのだ。未だにあの女の目が忘れられない。気軽に言い寄ったスタッフは音信不通だった。グルだったのだろう。そうやってお金を巻き上げている場所だったのだろう。なんとも後味の悪い場所で、もう二度と立ち寄ることはなかった。もう二度とあの人たちに出会うこともないのであろうが、安易に信用するものではないのだ。あの人間はきっと大きな呪縛の中で動かされているだけなのだ。それを押し付けられるのはたまったもんじゃない。そうやって人は善意を受け取れなくなっていくのだろうか。そういう場所には二度と訪れることはないのだろう。きっとあの人もそうやって生きてきたのかもしれない。だったらあんなことをしてまでお金を巻き上げようとなんてしなければよかったのに。

 

関わり

 ホミイは下を向いて俯いていた。何か雑誌でも読んでいるようだったが、何かを思索しているようだった。目の前の文字を追っているが、本当に追いかけていたのは自らの思考だったし、私もまたその思考を追いかけていたのだ。「まったくどうしてこんなにもやることが多いのかしら。しっかり整理しなくてはいけない。あちらこちらに散らばっているものを一度集めて整理してあげるのよ。それらはただ点在しているだけで、散らかしているのは私たち自身と言ってもよかった。だからこそそこに行き、寄り添い、話を聞いて、私は彼の手を取って一度同じ場所へと集まってもらうの。皆が集まりきったところで私は全体に向かって声をかけるわ。しかし大切なのはそこにいる一人一人の奥へと声をかけているということ。全体でありながら個人個人に私は語りかけるわ。」ホミイは全体を取り仕切ること、個人の気持ちに寄り添いそして行動を促すことを得意としていたから、ホミイらしい行いだった。「彼らがそれぞれの意思を持って、自らが立ち上がり動き出すことが私に取っては重要な役割であると考えているわ。どうせならお互いが心地よく、何かイガイガした異物をぶつけ合うのでもなく、素直な状態で存在し合えること、それでいて言葉を重視するの。選ぶ言葉を慎重にするの。時には無言であることも私に取っては重要な言葉になるわ。何もかもをぶつけ合ってはいけない。時にそれすらも隠蔽し、取り置いておくことも重要よ。」ホミイは人との関わり方を熟知していた。「私自身もそうやって関われることが心地よいわ。相手を思いやるとはそういうことじゃないかしら。私自身もその方が心地が良いのよ。私だけが心地よいのではなく、相手も心地よいから、それ自体が私を心地よくさせるの。だからこそ言葉だけではない静寂に身を寄せることが重要なの。追いかけてはいけない。留めなくてはいけないこともある。ただその空気自体に、空間自体に溶け合うことで相手を感じることが多いにあるってこと。それらを無視してはいけない。それこそを感じ取らなくてはいけない。何でもかんでも自分の意見をぶつけることが素晴らしいというのは少し共感ができないでいるわ。それよりもこの空間自体を、ここに居合わせるもの何もかもを感じ取り共有したい。それが私にとっての関わりであるのかもしれないわ。全体への関わり。そして個々への関わり。」

 

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 まだ喉痛め。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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