創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20180101

 深夜になり鐘の音が鳴り始める。あちらこちらから、それぞれ違った音色を奏でていた。もうすぐ年が開けるようだった。10分ほど前になるとそうやって年の終わりを感じさせる。そして新たな年への期待を抱くような音色に転調していく。風邪が悪化し家の中で安静にするしかなかったのだが、そうやって街の様相を感じ取ることはできた。幾分が澄んだ夜に感じられた。こんなに静かに過ごす夜があっただろうか。もう何年も、何かしていなくてはいけないという衝動に狩られていたのだから。それらはまったく必要ないとは言わないが、そうでなくてはいけないと思い込んでのものだった。彼は寂しい人間ではないと伝えたかったのだ。私は一人ではないと。もうそんなふうに虚栄を張る必要もなかった。彼は体調を崩して安静にする必要があったし、咳は年が開けたところで止まることなく、むしろ悪化しているようにも思えたからだ。それに鐘の音が静かに響き渡ることが、目を閉じてその音を追いかけることが心地よくて仕方なかったのだ。それに初詣もきっと家の中で済ますことができるのだろう。家の中に神社を作りそこでお参りをすることになる。そうやって何もかもを体調を優先しながら楽しむことができるのだから。

 

室内

 朝目が覚めるとやはり咳は続いた。しかし体調は悪くなかった。精神的にも前向きに物事を捉えているように思えた。そんな日がもう何日か続いている。しかし元気になったと思い込みいつものような生活を始めるとまた咳は悪化していくのだから、安静にするほかないのだろう。

 彼は室内で生徒を待っていた。生徒は室内に入ると挨拶をし、ギターケースから自分のギターを取り出しチューニングを始める。2、3人が一斉に同じ動作をし始めるのだが、このあと何かの演奏会が待っているようだった。彼はそれらの光景を目の当たりにし、どうやら自分は教師であるようだと自覚するのだ。しかし何を教えれば良いのだろう?立場を把握したところでその通りにすぐ立ち振舞えるほど彼は器用ではなかった。「緊張することはない。君たちらしい演奏をしてくれればいい。」生徒たちは彼の顔に目を向けると、うなずきまた自分の作業に戻った。彼はすっかり自分の立場が変わっていることに気がついた。何を教えるでもなければ、何を伝えるでもない。ただ居心地の良い、ストレスのない、空間であればいいとすら思った。自由に、のびのびと彼ららしい演奏さえ出来ればそれで良かったのだろう。それは彼自身がもう自由に歌うことができなかったからだし、言葉を口にすることはできなかった。彼は書くことで、または手話で自分自身のことを伝えていた。しかしそれが思いの外嫌ではなかったのだから彼は驚いていたのだ。自由に声が出せる時よりもむしろ快適に、自由に自分自身の気持ちを内面を伝えることが出来ているような気さえした。彼のペースは守られていたのかもしれない。口にするスピードよりも、今こうしているように指でのタイピングにより文字が浮かび上がらせることの方がどうも自分の言葉であるようにすら感じることが出来た。彼に取っては思いがけない産物だったし、目を閉じてその内側で感じる世界を静かに現すことが出来たのだ。

 

書物

 平坦な道が続いていた。もちろん起伏も存在していたのだが、そのことはもう忘れていたのかもしれない。何か静けさが辺り一面を覆っていて、年明け独特の盛り上がりだとそういうものとは一切切り離された場所に存在しているように思えた。むしろ空気は澄んでいるように思えたし、なにより多くを口にしないことが体調を整えていたのかもしれない。相変わらず車は通り過ぎていくし、リスは御構い無しに低い声を轟かせているがそれもまた一時的なものに過ぎず永続されるものではなかった。窓は風で揺れ、ときどきガタガタと音を響かせるが、風は穏やかで凍えるほどではなかったのだ。彼は本を読んでいた。シルヴィア・プラスヴァージニア・ウルフカーソン・マッカラーズなどだ。女流作家の作品だった。何か意識を描く作品に触れている。どうしてここに行き着いたのかはよくわかっていないのだが、ただ確かに自ら望んでその作品群に手を伸ばしていた。静かに本を読むのがいい。これまであった永遠に続く社会とはもう一線を置き、この静かな場所で過ごせばいい。それで十分満ち足りていたし、それ以上もこれ以下もなかった。量を知ることだと彼は言い聞かせていたし、例えば不要なものが多く捨てられているが、捨て過ぎて貧しい気持ちになるのならそれは自らの量を知らないということなのだから、まずは自分にどれだけの量が必要なのかを把握することから始めればよかったのだ。家庭内文庫の量はそれほど多くはないが、これから読む処方箋としてコレクションするのも良いのかもしれない。それらは内面を扱う家庭内医療として大いにやく立つだろう。それが書物の役割であるのではないかと考えている。昨年末に彼自身も自身が書いている書物に対して同じ役割があるのではないかと考えていた。それはまず自分自身に取ってだろうが、その行い自体の記録はきっと意味を持ち、身の置き方や立ち振る舞いについての実体験的な記録になるだろうと考えいていたのだ。彼は欠かさず日記を書くことを辞めることが出来なかったし、辞める理由もなかったのだ。辞めたとしてもそれは結局退屈な日常が重力となって襲いかかってくるのかもしれなかったし、ただ出来事から内面と紐づけて、内面で起こる出来事を書き記しているだけなのかもしれない。だから大抵のことは事実と反することかもしれなかったが、小説としてはきっと成り立っているはずだろう。全てが実体験からきているし、そして耳にしたこと、目に触れたことから世界はどこまでも広がっていくのだ。だからもう実際に広がり過ぎたその仮想空間にあの終わりのない世界に身を置く必要は今はもうなかったのだ。彼はすっかり体を休めるということが出来ないでいたのだ。休むとはどういうことなのかを知らないでいた。しかし体にその不調が現れたことは、むしろ好意的に受け止めていた。むしろそちらの方がわかりやすく、寄り添いやすかった。それがたとえ精神的に現れるのだとしても、そうやって寄り添えたら良いのだろうが、今はもうすっかり平穏で静かな安全な場所に身を置いているのだから存分に味わい尽くせば良いのだろう。

 

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相変わらず喉の調子が悪く自宅で安静。

油断しするといけないようだ。

 

休むというのが苦手だったのでちゃんと休んでみている。

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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