創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20180110

薄明かり

 薄明かりが入り込んでくる。白い光だった。暗闇にいたかと思っていたが、気づけば手元を照らしている。あの時は確かに暗闇の中にいた。目を開いても、手元は見えなかったし、ただ匂いであったり、肌で感じているものは存在していた。彼は未だに感情に支配されている。そのことを回想している。時折、洗濯物を気にし始める。思っているよりもそれらは根深く、かと言って恨むべき対象ではないことを知りながらも、また同じことを繰り返す。それでも感情自体に入り込んでしまった後はもう疲れ切っていたし、そのまま横たわり、何もかもを忘れて眠っているようだった。疲れ果てて、何もかもを忘れて。そうだ。忘れることを望んでいる。しかし起きていると難しいと言った表情を浮かべた。何もかもが止まってしまえばいいのだが、彼は自ら情報を浴び続けるし、それが思考停止だと考えている。それは彼にとっての荒治療であったのだが、まったく逆効果だった。画面の中で動く人物を食い入るように見つめて、何か思いを巡らせるでもなく、次第に胸が苦しくなり始めた。それを繰り返しているのだろうか。彼を退屈させているのは彼自身だったようだ。そのことを知りながらも、辞めずにはいられないのだ。何らかの中毒症状なのだろうか。これは物心ついた時から文明があったからなのかもしれない。ずっとそうだったのだ。そこには仮想の世界があったのだ。作り上げられた世界がそこにはあったのだ。ゲームのようなものだった。何もかもが仕組まれていた。しかしゲームを作るゲームというのも存在していた。しかしそれもまた結局、塗り絵みたいなもので、決められた枠取りの中に色を継ぎ足していくに過ぎなかった。それらの方法では解決できない何かがあった。緻密に作ることではなかった。ただなんらかの衝動のようなものは間違いなく存在しているようだった。しかし、確かに何らかの枠組みの中で生み出し続けている。使うべき素材にはいずれ終わりが来る。それがどこまでも広がってしまえば手に負えなくなるのだ。ピアノの鍵盤に限りがあるように、ギターの弦に限りがあるように、それらを演奏する人間自体が自由であるから、楽器自体がどこまでも広がってしまっては困り果て、途方に暮れてしまうのだ。これはあるピアニストの言葉だった。彼もまた同様に拡大した、手に負えなくなった世界に失望していた。だからこそ彼は自らの生きる範囲を自らで決め、そして演奏はどこまでも自由であった。

 

静か

 静かに並んでいく。勢いではなく、文字が静かに並んでいく。昨日までの乱暴な当てつけのようなそれではなく、どこか丁寧に文字を置くということが行われていた。現れて来る文字に違いはない。しかし、その質感のようなものには確かな違いがあるように感じられた。手に送られる感触もまた違った。指先ひとつひとつで感じることができた。ただ激しく叩いている状態ではなかった。指先の指の腹にいつまでもこの感触は残ってる。こんなことも知らずに私は毎日文字を並べていたのだ。私にはあまりにも知らないことが多すぎたし、気づいていないことが多すぎた。それなのに何もかもを知ったような顔をして、それは虚勢を張っている様そのものだった。それらが剥がれ落ちていくのは絵の具として剥がれ落ちていくのかもしれなかった。絵の具が、あの鉛筆の線が、それらを静かに削り取っていく。今更何も取り繕う必要もなかったのだ。今更取り繕ったところできっと私は同じ過ちを繰り返すからだ。また疲弊し、身の丈に合わない人付き合いをし、そして結局戻って来るのは布団の上でうなだれ、もがいている状況なのだから、何を今更取り繕う必要があったのだろうか。大きくあろうともしなければ、小さくあろうともしない。ただ感覚だけがそこにあることを知っていた。これこそが私が発見し続けることのできる唯一の楽しみと言って良いのかもしれなかった。確かに、確かにこの感覚を発見する瞬間、それは発見ですらないのかもしれないが、確かにそこに証明されるものたちが並んでいる。絵だったのかもしれないし、今は文字だったのかもしれない。音の場合もある。音の場合はその時に最も入り込める音に変容していく。まったく同じというものがない。文字自体に違った感覚で都度入り込むのだ。新鮮な言葉へと変容させていくのだ。それが私にとっての言葉になった。一体となることだった。だからその状態へと溶けていく。文字と言葉と溶け合うことだった。私は歌っていた。声を張り上げるためではなく、ただ溶け合うために歌っていた。それは性行為と同様のようだった。溶け合っていたのだ。間違いなく文字自体と新鮮な言葉と溶け合っていた。

 

 一枚の絵が長引いている。描いては上書きされ、そして消されを繰り返す。それはそれでよかったのかもしれない。ただじっくりと考えることだった。思考を巡らせることだった。待つことだった。安心して待つことなのだ。待つことで熟成された。「僕は慌てていたんです。いつの日もいつの日も、早く成果を、結果を出さなくてはと慌てていました。いつだってそういう審査の日が、テストの日が近づいてきますし、そういう世界でしかないと思い込んでいましたから、そこに追いつくように必死だったのです。頑張るしかなかったのです。努力するしかなかったのです。しかしどんなに追いつこうとしても外的な圧力に恐怖心を抱きました。成果だとか、結果だとかそれどころではなくなってしまったのです。僕は弱かったのかもしれません。ある意味で素直だったのかもしれません。今となっては逃げているのか、立ち向かっているのかどちらなのかさっぱりわかりません。ただあの頃立ち向かっていたとするなら、それは間違っていなかったし、あの時誰が何と言おうと自分の気持ちを捻じ曲げなかった彼の気持ちを僕は尊重しようと思っています。それこそが彼らしさだったし、それが彼だったのです。結局何も変わりません。何か立ち向かわなくてはいけないことがあるのです。しかし堂々と逃げているとも言えます。そのどちらもが内在しています。紛れ込んでいます。これは統合ではありません。その状態がまた正常でもありました。押しては引いてを繰り返します。それでも構わなかったのです。それでも積み上がっていたからです。」

 

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箒の音がしていた。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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