溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20180111

呼びかけ

 ちょっとした呼びかけだった。後ろを振り向くとそこにいた。彼はもうすっかり内向きに、内面での生活を余儀なくされていたから、ただ彷徨っていただけだったのかもしれない。手には買い物袋を下げていたが、それも実際に買ったかどうか分からなくなっていた。レジのおばさんとのやりとりもどこか上の空で、実際に買い物が出来たのかどうかは分からなかった。彼はハッとしたかもしれない。だからまた書き出していたのだ。彼のその状況を私は観察している。彼は書き出しながら鼻をすすり、目を閉じてはため息を繰り返していた。彼を現実に引き戻すかのように声をかけられる。そういった繋がりが、彼をつなぎとめていたのかもしれなかったし、強要される会話よりそちらの方がよほど彼の精神状態には効果的であるようだった。途方に暮れていたのだろうか。そうではなかった。原因はいつまでたっても見つからないままだった。何を探し歩いているのだろうか。それすらも分からず、この行為、つまり書くという行為自体に意味があるのかだとかそんなことを考え始めている。それでも書いている。今はその状況を中継している。これは運動だった。スポーツだった。訓練だった。よく分からなかった。今は何を言っても分からないことだらけなのだ。とにかく錯乱している。混乱している。混沌とした状態の中にいる。どれが自分であり、自分ではないのか分からなくなっていた。そもそも自分なんてものがあるのだろうか?見つけてどうするのか?説教でもたれるのだろうか。あの退屈な、傲慢な態度を見せつては、不快な空気を浴びせ続けるというのだろうか。酒でも飲めと言うのだろうか。飲まないと言えば何だ男なのにだらしがないとそういった横暴な態度を見せつけてやるのだろうか。お前は誰だ。お前のことを知っていた。知っているかどうかではない。覚えている。ただ覚えていた。様々な記憶からこの状況を引っ張り出し覚えていると言っているだけだった。真実かどうかが大事なのではない。また何が言いたいか、何が伝えたいかが大事なのではない。特にないのだ。特にないから困っているのか、落ち込んでいるのだろうか。何もないのだろうか。何を探しているのだろうか。いつまでもいつまでも、どこをほっつき歩いていたのだろうか。彼は確かに歩いていた。小さな範囲だけが彼の行動範囲だった。ほとんどが家の周りであり、大半が家の中での生活だった。外に出ることがどれほど不安であるかを知っているのだろうか。何が不安なのだろうか。またこうやって不安を当てつけるのだから、不安の方もいい迷惑だろう。彼が手に取ったのは、不安という言葉だったのかもしれない。もしくは心配だとか、不満だとかそういうことなのかもしれなかった。欲求不満なのだろうか。何を憶測する必要があるのだろうか。何をそうやって断定し、定義づけ判断しようとしているのだろうか。「その判断は果たして重要な役割を果たしただろうか?」この流れゆく、流動の中で、地面に張り付いているこの重苦しい、この初期設定をどうやって切り替えることができようか。あまりに重たすぎたのだ。解決云々ではないのだろう。その設定に合わなければふるい落とされていくのだ。それらの末路を知っているだろうか。彼は知っているのだろうか。そのことを知っていたのだろうか。「知っているから何になる?」知っていることが何もかもを邪魔している。知っているから何ももう動くことすらできない。つまり彼は何も知らないのだ。それなのに知った気になり、何もかもが不幸であると認識しているのかもしれなかった。これは描写であったし、彼自身が本当にそうであるのか、果たして不幸であるのかと決め付けることが出来ないのだ。先進国という国自体が大いに不幸であるように、大衆が決めつけた風習ほど恐ろしいものはない。だから言葉にするのだろうか。彼はだから書いているのだろうか。混乱しているのは彼ではなく私自身なのだろうか。とにかく膝が痛かった。いつのまにか痛かったのだ。気づけばそうやって体は酷使されていく。自分のこの体すら支えることが困難なのだ。何を言っているのだろうか。不快感が充満していく。この空間に広がっていくのは不快感だった。しかしそれは彼の作り出した幻想であったし、十分に満ち足りた空間でもあったのだから、この矛盾した状態に何を不自由する必要があったのだろうか。「不自由は自分が生み出しているんですよ。」なんて安易にいうものではない。安易に口にしてはいけない。口から大切なものが転がり落ちていくことを忘れてはいけないのだ。口は災いのもとであるが、実際にはそれらを抑えることができない弱い精神こそが災いなのだ。何をまた自分の体の、器官のせいにしているのだろう。都合が悪くなればいつだって人は自分の器官を棚に上げて、成敗でもするかのように誹謗中傷を繰り返すのだ。「君たちに人を成敗する権利があるのだろうか?」かくいう彼にもその権利はあったのだろうか。人様のやることにいちいち口出しする権利はあるのだろうか?彼は誰に言っているのだろうか。分からない。分からない。だから分かる必要もないのである。いつからそんなに分かることが重要であるかのように勘違いし始めたのだろうか。そんなことよりも分からずに生きる術を見つけることの方がよほど重要であるように思えていた。誰が?私がか?それとも彼のことだろうか?大切なことは何だろうか。踊ることか?歌うことか?色彩があったことを知ることか?それらは突然舞い込んでくる。知らず識らずのうちに生活の中に忍び込み、何食わぬ顔で食卓を囲む。さぞ楽しい時間が待っているに違いない。しかしそれらが楽しめるかは本人次第でもあるし、そういう心持ちが果たして今あるのだろうか。そういう前向きな気持ちを抱くことが出来るのだろうか。それが出来るなら何の苦労もしないだろう。そうだ苦労はなかったのだ。今何を言っているのか分からなくなった。だから書いている。そのせめぎ合いが続いている。抵抗はしない。ただ出てくるままに追いかけていた。また追いかけていた。盗みを働いたものを成敗するために追いかけていたのだ。どこまで走ればいいのだろうか。倒れこんでしまえば何もかも終わるのだろうか。少し夜の香りがした。

 

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夜は冷える。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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