溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20180113

ココナッツ

 ココナッツの香りが漂い始めて気付けば常夏の浜辺に腰掛けている。相変わらず横揺れが続いているが、確かに景色は行ったこともないハワイを思い浮かべているのかもしれない。少し音楽が賑やかすぎた。BGMのことだと思う。それがあまりにも賑やかすぎて手に負えなくなっていた。私の手からはこぼれ落ちていた。それらをかき消すように全く違った音楽を上塗りする。どちらも隙間を見つけて入り込んでくる。逃げられるだろうか。どこに逃げる気だろうか。いったん途切れてしまった流れを改めて作ろうとすることは不可能に近かった。それらはもう続きではなかった。間が、隙間が空いてしまったこの状況でまた改めて何かが始まったようだった。だから相変わらず音楽はどちらも手を抜くこともなく、ただ主張し合いながら鳴り響いていた。殺伐とした空気が漂っていたが、温和な状態を保っているように装っていた。足元は冷えていた。風が通り抜けていく。足元だけを冷たい風が何度も何度も通り抜けていくのだ。そうしているうちにもうすっかりあの常夏の夢の時間は終わりを告げていた。あと3分で発車する。車内は殺伐としていたのだ。喧嘩しているようにも見えた。お互い引こうとしない。お互いと言いつつ様々な関係性が絡み合っている。目で追いやろうとする者もいれば、足を組んで通りを塞ごうとする者もいる。隙間を掻い潜ってくる者もいる。これは戦争だったのだろうか。果たして私たちが存在出来る空間は、場所はどこに行ったのだろうか?均一に並べられた、等間隔に並べられた、お行儀の良い席に黙って着席する。隣との隙間はどれくらいあるだろうか、距離はどれくらいあるだろうか。それらがあまりにも近すぎて行き場を失っていた。肌が触れ合った。それほどに近かった。肌ほど敏感に情報を吸収する機能はないだろう。あの強引なダンス。力任せのダンス。あの気持ち良くもないダンス。私はあの男のダンスを思い出していた。まるでオナニープレイを見せられているような気分で最悪だった。しかし私は彼と肌を密着させて踊らなくてはならなかった。私には到底堪え難い状況が続いていた。あの男の強情な皮膚、そして煙草の悪臭が私を付きまとうのだ。どこまでも追いかけてくる。逃れたかと思えば、後ろから抱きつかれ、吐き気を催し、それでもこれはダンスだから、ダンスだからと私とのダンスを強要されるのだ。私には力がなかった。黙ってそのダンスに付き合うしかなかったのだ。

 

待つ

 「思いつくまでは待てばいい」Kは言った。「慌ててはいけない。慌てることが何よりもいけない。落ち着かなくてはいけない。今はまだこのまま続けたらいい。そしてふと思い浮かぶはずだ。それは本のタイトルかもしれないし、それは生命を吹き込むための名前かもしれない。それらが浮かぶ、すなわち通り過ぎるまではとにかく僕の言う通りこの処方を続けるべきだ。自らに書き続けるべきだ。作品にすることを焦ってはいけない。熟成させることだ。これは僕が知っていることなのかもしれないし、君自身が最もよくわかっていることなのかもしれない。僕は代弁している。ただ伝えている。思いやりを持っている。君はそのことも感じている。とにかく地力をつけることだ。それを育むのは自分自身でしかない。頼ってはいけない。そして触れ合うことだし、出会うことだ。出会い続けた先でしか君自身を語ることはできないのだろう。僕はそのことを言っていた。だからコーヒーでも飲んでゆっくり過ごすといい。そうしてまた文を書き、ああきっと絵を描くだろう。そしてギターを持ち出して歌うんだ。そして糸を持って、布を何遍も何遍も作り出すのだ。これは君の日常を語っているのかもしれない。僕から見た君の日常かもしれない。それらが巡り巡って目の前に現れる。追いかけてはいけない。波自体になることだ。」

 

生命

 「もっともっと出来るだろう」男はそう言っていた。「私は生命をかけている。君もそうだろう。怯えることがもう既にないことも知っている。生命をかけているからだ。それらが目の前に刻まれていくのだ。それらは傷なのかもしれない。しかしその傷にこそ生命が宿ることを知っているだろう。魂を売ってはいけない。安易な言葉に聞こえるかもしれないが、君にその勇気はあるか?売らずに生命を燃やし続けるその気概はあるだろうか?もっともっと出来るだろう。だから私は君に告げているのだ。私も誰に言わされているのかはわからない。ただもうこれまでの偽造されたあの不安だとか、恐怖だとかはお終いだということだ。もうとっくに終わっているものをいつまでも引き伸ばして、そんなものの何が楽しいだろうか?君は君が思っている以上に情熱的なのだ。私はそのことを語っている。君の情熱は冷めることがない。創造という分野において君の熱意が冷めることはないのだ。これは君自身が心底思ったことであったし、常に頭の中を巡っていることだ。君は生命をかけているのだからそれも当然であるのかもしれない。あざ笑う奴を抹殺せよ。そんな者を生かしたままでどうするというのだろうか。弱いまま強くあればいい。弱いまま真剣であればいい。今まで通り熱中していればいいのだ。」

 

一つ

 同じにならなかった。結局私がやったら私になった。その連続が起こっていた。連続が起こり続けていた。今も、今も、今も。ただ追いかけているのは意識だったし群衆だった。走り抜けていくあの群青だった。立ち止まったのは灯台が照らす明かりだったのだ。照らされた先に何が見える?私が見たいの物はその先にある暗闇なのだろう。そこで何に触れる?何と出会う?何処にでも行くだろう。何処に行くこともない状況の中で、何処までも行くだろう。この旅路は続くだろう。終わることはないのだろう。引き継がれていくのだろう。例えば私が灰になりあの湖の上空を舞って、湖と溶け合ったとしても、私はどこまでも生き続けるのだろう。そしてまた出会い続けるのだ。きっとまだ大地の中にいるあの微生物たちと出会い続けるだろう。それで構わなかった。一向に構わなかったのだ。私が向かう先は一つだった。それでいて多方だった。それらは何もかも一つだった。

 

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ゲルハルト・リヒターさんの展示行ってきた。

「もっともっと出来るだろう」と後押ししてもらっているような気持ちになった。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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