創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20180225

 藤沢に画材の買い出しへ行く。「人生はまさかの連続だよね」とはみーさんの言葉である。確かに僕が画材屋さんをウロウロと徘徊するなんて数年前は考えられなかったことだ。結局2時間くらいウロウロしていた。オイルパステルが気になったので買ってみた。画材屋さんに行くと何をしたいのか自問自答する。何か描きたい対象があるわけでもなくただ日々描いているわけで、それなのに気になる画材に手が伸びるのだから不思議で仕方ない。描いているというよりは作るという表現の方が合っているのかもしれない。引っ掻き、垂らし、乗せ、削り、揺らし、眺めて、コーヒーを飲む。時々チョコレートをつまむ。造形的なのかもしれないし、何らか質感を追い求めているのかもしれない。ただ、確かに感じていること。絵に向かっている時間は、僕は自由を感じながら不自由を感じている。それなのに色彩が目覚めて、確かに僕には色彩があると自覚する。線から生まれる生命をひた隠そうとしていたが、最近はそれもまた良いと思えてきて、それらは精霊と呼ばれる。僕の中では。なんだか寛大になっているようで、それなのに小さなことでうじうじする。今日は朝、水をぶちまけて、落ち込んだ。何度かみーさんに謝罪。画材屋さんの帰りにカフェに寄っても、持とうとしたペンを隣の女性の足元まで飛ばしてしまう。優しかったので拾ってくれた。何だか最近手がおぼつかない。歩いてると木の枝にニット帽が引っかかったりする。意識が内向き。内へ内へ。だからそういうちょっとした出来事で目が覚める。現実へ引き戻される。それでもまた内へ内へと向かう。何を見たのか。観察したのか。カバンに小さなノートを入れておいてすぐに取り出せるようにしている。「無意識に男子トイレへ。当たり前のように」、「こどもの視ている世界。どこをみてる?」そうこうしていると地面から生えてるお金を拾う。みーさんもよく拾うので〈スイス募金〉と名付けて拾って集めている。よくよく見るとよく生えているのだ。元々、スイスにあるパウルクレーセンターに行きたいねと話していたのでそれがきっかけで始まったのだが、こうなれば新婚旅行も兼ねて。小町通り付近にある古本屋さんでクレー先生の画集購入した。

 

 描かれる精霊は何か崇高なものというより、少々だらしなかったり、情けなかったり、感情的だったり。それが僕の視る精霊なのかもしれない。完璧な姿ではなく、どこか間の抜けているようなそんな姿を視せる。

 

 僕は当たり前のように男子トイレへ入る。さぞ決まり切った事柄で、当たり前のように。それなのに僕は男性扱いされることを大きなストレスと感じる。特に仕事などではそうだった。男として見られることを嫌う。僕は自ら区分された道を選ぶ。自ら、男という決まった道のりを選ぶ。そのことに疑問を抱き、立ちションしながら考える。でも女性が好き。

 

 子供の視線が視ている先が、現実ではないように思えた。何かそれよりも先にある、ふらつき漂っている何かを目撃しているように見えた。輪郭線のない存在に触れているようだった。ただ言葉にはしないだけで。

 

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 「鳩迷い込んだ」と思ったのは僕の方で、いたって冷静に頭引っ込めながらじっとしてた。近寄って行く男性がいて、飛んで行ってしまうからやめてと願いながら、カメラ持って近づく私。鳩の公共スペース。

 鎌倉の眼鏡屋さんにも行った。行くたびに綺麗にしてくれるので嬉しい。「いつでも寄ってください」なんて言ってもらえる。一緒に眼鏡を育てる感覚ってこういう感じなのかも。みーさんは眼鏡の調整してもらえて喜んでいた。もはや眼鏡をかけていないみたいらしい。レンズ越しでないレンズ越し。感覚の秀逸さよ。そんなみーさんは朝起きたらウエストを測っていた。自分で。さすがにうまく出来なかったようで寝起きの僕に計らせた。その後僕もなぜか計られる。寒い中腹巻を渋々おろし、メジャーが腹回りを捉えた。

 

おやすみなさい。

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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