創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20180410

 「慢性的なうつ状態からの脱走」と急に言葉が出てきた。やる気なくても、辛くても、苦しくても、逃げ道の作り方さえ知ってればなんとかなるのかもしれない。「自らの空間=巣、家、城、すなわち思考」。自らに、人間に、生命に、魂に居場所を与える。ある意味で孤独を紛らわす。愉快な会合を取り行う。そこで対話を試みる。決して諭そうとか、手懐けようとはしない。ただそれぞれが言いたい事を言い、それは隠さずに、口論するでもなく、折り合いが自然と見つかる。そうでなくても良い。見つからなくても良い。見つけることが目的ではないし、見つかったところでそれは一時のまやかしみたいなもので、しがみついても仕方のないこと。ただ作り続けること。毎日その繰り返しがただやってきて、目の前には創造物が広がっている。
 

f:id:mizokoji:20180410201844j:plain

 漢方を変えて寝つきは良くなったのだが、朝起きるのが辛いのはなんだろう。そもそも漢方なのか季節の影響なのか分からないが、早く日が暮れないかと思っている。それで結局昼過ぎまで動けずにいる。そのことに対して自己嫌悪しているが、それでも夢はなぜか書き取ろうとしていて、枕元にノートとペンを置いて、這いつくばるように午前中を過ごしている。それがなんなのか分からない。起き上がるのは辛いけど、書き取りたいとは思っているのかもしれない。寝ても覚めても夢なのだ。どちらがどちらと切り分けることはできないし、ただ入り混じって、溶け合っているだけで、起きれない事を責めても仕方ないのかもしれない。朝起きないからそもそも鬱になるのだと言うが、そもそも朝型ではないのかもしれないし、眠っている間も思考は広がっていて、どうやらそこでも僕は存在しているらしい。しかしそれが自分とは確信していないのに、自分だと思い込んでいる。そして、幼少期だとか、学生時代の友人を引っ張り出している。そこで会話している。出会おうとしているのかもしれない。毎朝とにかく浮かんで来る光景を、流れて来る映像を書き止めようとしている。

 

 アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」読み終わった。やっていることまさにこれなのだろうなと思った。その後、以前買ったジャン・デュビュッフェの画集見てたらシュルレアリスムが出てきたやっぱりつながったと思った。パウル・クレー先生から始まり、少しずつ出会いが広がっていることが嬉しく感じている。僕はやり方を勉強するより、いつのまにかやっていたことがなんなのかを知ることが多い。そして出会うのだ。これはどうしてなのだろう。とにかく動き方を知っているのかもしれないと思う。記憶として。それは僕以前の僕かもしれない。だから作り続けることができるのかもしれない。

--------------------------------------------------------

溝井孝司(Koji Mizoi)

連絡先:mizokoji@gmail.com

Twitterhttps://twitter.com/kojimizoi

Instagramhttps://www.instagram.com/kojimizoi/

--------------------------------------------------------